メモリーズ・シンドローム
「やぁ、これは珍しい症例ですな」
先生はペラリと僕の診断結果の紙をめくると次にこう告げた。
「メモリーズ・シンドロームですね」
「は?」
「直訳すると思い出症候群、となります」
そして僕は二度目の、は?を出さざるを得なくなる。一体何なんだ、それは。
「最近事例が多くなりやっと認知され始めた症例なんですがね」
先生は脚本でもあるかのように、滔々と語り始めた。
「何かをきっかけに過去の思い出がフラッシュバックされる。そこまではまぁよくある話なのですが。この症候群の特徴はそのフラッシュバックにリアリティがついてくるところですね」
「リアリティ?」
「ええ、貴方も経験されたでしょう。過去の思い出を今体験しているかのように、リアルで現実的な時間を」
「はい。それでおかしいと思ってここに来たんです」
「貴方は賢いですよ。普通それをすぐに体の異変だと感じる方は少ないですから」
先生はよく出来ました、とでも言うように目を柔らかく細めた。
僕はその向こうにある廃れたカレンダーや、本棚に詰め込まれた書物をぼんやりと見ながらまた「はぁ」としか言えなかった。
先生は回転椅子をクルリと半分回すと、完全に僕に対面した。
「大抵はリアルな夢だったか、空想、虚言、妄言で終わってしまうのです。でもそうではなく、何かをきっかけに『過去の記憶』が『現在の脳』に呼び起こされ『今起こっていること』と認識させてしまう。いわば、脳のシステムエラーですね」
「脳のエラーで、あんなリアルな体験が?」
「脳は体験の全て、ですよ。脳が認識しなければ、貴方が目の前にあることなんてないに等しいものです」
そう言い切った先生はどこか冷たい感じがした。
僕は少しだけぞっとして、包み込むように己の腕を撫でた。
「じゃあ、どうすれば治るのですか?」
「それが難しいところでね。原因は不明なんだ。症例も少なすぎて、まだ治療方法はない」
「そうですか……」
「不安かい?」
「いえ、安心しました。これが病気の一種であるなら、改善できる兆しはあるということですから。僕最初はてっきり、タイムスリップでもしたかと思ったので」
そして僕はぼんやりと思い出す。
繰り返された過去の何でもない一日。
脳ではこれは過去のことと分かっているのに、それを体験している僕はそうと理解しつつも過去と同じ行動、同じセリフを繰り返すのだ。
決して介入できない過去をああもリアルに再体験するのは、とんでもない違和感があった。
「はは、忘れて欲しくない過去が無理やり宿主に訴えたのかもしれませんね」
先生はそう言ってまた冷たく笑った。
僕は今後毎週症状を報告しに通院することを約束し、その場を後にした。
・ ・ ・ ・ ・
『メモリーズ・シンドローム発生。週一での検査にて今後の様子見とする』
私はカルテにそう書き殴ると深く息を吐いた。
最近どうもこういったエラーが続く。やはり老朽化が進んでいることは間違いないようだ。
本人たちに気付かれないように事を運ぶのは、毎度のことながら神経を遣い疲れる。
しかし面白いものだ。
人間に近づくように精巧に作られたアンドロイドは、やはり人間と同じように病名さえ与えれば安心して帰っていく。
名付けられればどんな現象も受け入れやすくなるのは、人間だけの性ではないようだ。
私は手元の通信機をシステム管理室に繋げた。
「ああ私だ。今日だけで三件のシンドロームがあったぞ。もうそろそろ、本格的に一斉メンテナンスを開始しないとやばいだろうな。……え、今日飲みに? はは、いいね」
通信機の向こうで同僚が、今日飲みに行かないかと誘っている。
私はこの誘いに覚えがあった。
確かこの飲み会のあとに私は二日酔いになり、翌日遅刻してしまうのだ。
この誘いに乗っては駄目だと分かりつつも、私は易々とオッケーを出す。
過去のことだと分かりつつも、同じ行動、同じセリフを繰り返してしまうのだ。
どこかで聞いた症例だな。
うすぼんやりと、私はそう思った。