ノックスに願う
僕だって自覚しているし自負も持っている。推理小説の探偵の端くれさ。
ノックスの十戒だって何度も復唱し理解はしている。
……けれど。ああ、けれど。
ノックスに伝えてくれないか。
この項目も付け加えられたのなら、僕は救われるのだと。
「───といったトリックを用いて、犯人は僕たちの目を背けたのです」
容疑者が集められた大広間。
僕はいつものようにトリックを説明し、その中にいる犯人をジワジワと追い詰めていた。
「なんと悪魔のようだ!」
「そんな……そんな手があったなんて」
「一体、誰がそんなことを」
犯人を除く三人は口々に重いセリフを吐き出す。
その中に混じって犯人も似たようなセリフを言うが、全てを理解している僕にはそれはとても滑稽な演技に思えた。そう。いつもの事のように。
「そろそろ犯人を教えてくれんかね」
僕の背後で説明を聞いていた役立たずの刑事が続きを急かす。
ゆっくりと行われていた華麗な推理ショーは、こうして無遠慮で世俗に塗れた刑事によって幕引きをされるのだ。
「ええ、犯人は……」
僕はゆっくりと右手を上げる。
いつもであれば人差し指で突きつけるそこを、掌を上にし恭しく示した。
「貴女……です」
声が掠れた。
できれば、言い渡したくなかった結末。
今回の犯人は、長年を共にし付き合ってきた恋人だったのだから。
「な、何!?」
「ええ、そんなまさか!」
周りがどよめく中、彼女だけは覚悟を決めたかのようにゴクリと唾を飲み込んだ。
長年僕の隣にいた彼女なら理解しているのだろう。犯人は名指しされた後には、抗わなければならないことに。
すっと彼女の瞳が細くなった。
「驚いたわ。まさか貴方がそんなことを言うなんて。……私が犯人だっていう証拠はあるの?」
「ああ、あるさ。君が犯人だという、決定的な証拠がね」
そして僕はいつも通りに、犯人が求めた証拠を突きつけるのだ。
今回ばかりはそれが出来ることに、心の中で涙を流しながら。
・ ・ ・ ・ ・
「いやぁ〜、今回はまさかの展開でしたねぇ、先生!」
某出版会社の担当者は準備していた新刊を取り出すと、その筆者である作家に手渡した。
「御園探偵シリーズ! まさか今回の犯人が長年の恋人なんて、読者からしたら思ってもいない結末ですよね」
「うん、そうだね」
作家はぶっきらぼうに答えると渡された己の作品をパラパラとめくった。
そしてパタリと閉じると、煙草を取り出しゆっくりふかした。
「でもまさかゴーサインくれるとは思わなかったよ。こんな結末、読者としては望んでいないだろうし」
「んー。僕も迷ったりはしたんですけどね」
担当者はメガネをくいっと上げると、その奥の瞳をぼんやりとさせ言葉を続けた。
「ノックスの十戒には入っていないし、いいかなと」
「ノックスの十戒、ねぇ」
推理小説を書く身なら誰もが知っているだろう。推理小説を書く上で犯してはならない十個の制約。
作家は煙を口から吐き出すと、ガラスの灰皿にそれを押し付けた。
「でも主人公にとっちゃとんだ展開だったな」
「まぁそうですね。でも人気シリーズですから、これからまだまだ頑張ってもらわないと!」
「……ああ。そうだね」
作家はぺちゃんこになった煙草に何故か少しだけの哀愁を感じて、新しい煙草をまた取り出した。
・ ・ ・ ・ ・
彼女の細い手首に手錠がかけられた。
厳つい刑事に挟まれ連行される彼女を、僕は何も言えずに見送るしかなかった。
これから彼女がいなくて、僕はどう生きていけばいいのだろう。
でも、生きていかなければならない。
それが推理小説の中で生きる僕の使命なのだから。
僕は読者が望む限り、ずっと事件に迷い込みその謎を解いていくだろう。
先人たちの偉業には及ばないが、それが僕に課せられた運命なのだから。
「ご苦労だった、御園くん」
刑事が僕の肩に手をかける。
「ああ」
僕は少しだけ顔をうつむかせて、表情を見られないようにした。
これが、推理小説の中で生きる僕の運命。
これからの僕は事件に巻き込まれ、犯人を暴いていくのだろう。
ああ。
でも。
どうか。
ノックスにこんな項目を付け加えてくれるようお願いできないかな。
探偵から愛の安らぎを奪うべきではない、と。