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ホワイトリリーに口づけ

マリーは絡みつくロングメイドドレスの裾をたくし上げると、広大な廊下をパタパタと走った。
「お嬢様ー!マリアンヌお嬢様ー!」
この姿をメイド長に見つかれば軽く三十分は説教されるであろう。しかし今のマリーにはそんな余裕はなかった。
姿を消した主を早く見つけ、捕まえ、嫌がってでも今夜のパーティーの準備をさせなければならないからだ。
「マリアンヌお嬢様ー!早く出てきてくださーい!」
「……そんなに大声出さなくても聞こえてるわよ。マリー」
「あ! お嬢様〜!」
振り返るとそこには、仏頂面をした麗しき乙女がいた。
ブロンズを腰まで携え、薄紫色のドレスに身を包んだマリアンヌ嬢が柱の影から現れた。
「みーつけた!」
にかっと笑ったマリーに向け、マリアンヌ嬢は「見つけさせてやったのよ」と軽く溜息をついた。

マリーはオルコット家に仕える最年少のメイドであった。
一つ年下のマリアンヌはオルコット家の一人娘である。
名前が似ていることと年が近いこともあって、二人は主従の関係を超えた友情を育んでいた。
カラッと元気なマリーと、物静かで滅多に笑わないマリアンヌ嬢。
二人が並ぶと容姿は似ていないのに、本当の姉妹のようだと周囲は温かく見守っていた。

「マリアンヌお嬢様、頭を動かさないでくださいね」
マリーはブロンズの髪と櫛をその手に持ち、なるべく優しくおっとりと声を出した。しかし鏡の向こうのマリアンヌ嬢はまだむすっとしている。
「……そんなに嫌なんですか、今日のパーティー」
「あったりまえでしょ!」
そうマリアンヌ嬢が答えるのも無理はなかった。
今日のパーティーはマリアンヌ嬢が十三歳を迎えるいわゆる誕生パーティーなのだが、その裏目的としてマリアンヌ嬢に相応しい婿候補探しがあったからだ。
今宵には花束や高貴な贈り物を携えた、見目麗しいプリンスたちが沢山やってくるだろう。
「私……まだ結婚なんかしたくないのに」
ぼそっと言葉を漏らすマリアンヌ嬢の顔にはまだ幼さが残っている。
こんな時、マリーは少しだけマリアンヌ嬢が一つ年下の女の子なんだということを思い出す。ふふ、と柔らかい笑みが口から漏れた。
「そうですね。私も結婚はまだ考えられませんもの」
「そ、そうよね!マリー!」
パッとマリアンヌ嬢の表情が明るくなる。
滅多に笑わないマリアンヌ嬢も、マリーの前では素直な表情を見せてくれる。
その花のように可愛らしくも魅力的な表情は、きっとご両親であられるオルコット夫妻とマリーしか知らないのだ。
「でもね、マリアンヌお嬢様。いつかは貴女は、お嫁に行きますわ」
マリーは櫛をときながら、言葉を紡いだ。
「素敵な男性と出会い、恋に落ち、結ばれるときがくるでしょう。そうなったとき、私はきっと幸せに満ち溢れますわ」
マリアンヌ嬢の眩しすぎる黄金の髪を見つめていたから、彼女がどんな表情をそのときしたかマリーは気付かなかった。ふと、マリアンヌ嬢の思いもかけない暗い声が響く。
「……離ればなれになるのに?」
「え?」
ふと顔を上げると、マリアンヌ嬢の強い瞳とぶつかった。
「私がお嫁にいったら、貴女ともう会えなくなるわ。マリー」
「マリアンヌお嬢様……」
マリーはオルコット家に仕える身。確かにマリアンヌ嬢が嫁に行き、この家を出ればもうこんな風に会うことは叶わないだろう。
何を言わんとしているのかマリーには痛いほどにわかった。
わかっているからこそ、微笑んだ。
「……そのときは手紙を書きますわ。文通友達として」
その答えにマリアンヌ嬢が満足していないことに、気付かないフリをして。

マリアンヌ嬢の身支度を整え一旦部屋まで送ったあとにマリーは一人、後片付けをしていた。
櫛に絡まった長いブロンズの髪を、一本引き抜く。
その髪を薬指に絡め、そっと口付けた。

十八時を告げる鐘が鳴った。
もうすぐ、パーティーが始まる。

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