なんてことない会話にその人が出る
バスに乗っていると、どうしても他人の会話が耳に入る。話している本人も、他人には聞かれないほうがいいだろうから、聞いてないふりというか、私はスマホ見てますよ、という体でいることが多い。だが、聞こえている。それを通り越して、聴いてしまっていることもある。
しかし安心してほしい。今日も私はバスの中、後ろの席に座った知らない誰かの会話を聴いてしまっていたが、その内容はもうすっかり忘れている。これは、私の記憶力がないという理由に加えて、人は普段、そんなに面白いことを話しているわけではないという理由もある。
まあバスの中で重要な話はできないだろうとは思う。もしも、その人に何かドラマチックな出来事があったとしても、それはバスや電車など公共交通での移動途中ではなく、どこか落ち着いた場所で話されるのだろう。
そして、大抵の人の毎日に、ドラマチックな出来事というものは頻繁には起こらない。なので、普段の会話は、本当に普段の会話であり、それ以上の意味を持つことはそうそうない。だから赤の他人がじっくり聴いても、すぐに忘れる。
しかし、聴いている最中には、いろいろなことを考えている。会話している誰かがどんな人かを想像する。話し方が良い感じの人もいるし、そうではない人もいる。なんてことない会話にこそ、その人本来の持ち味がにじみ出ているような気がする。
ただ、そのイメージは声での補整が大きくなされていると思う。声の良い人だと、なんてことない会話にも引きつけられてしまうし、声の大きい人だと、なんてことない会話もおおごとのように聞こえてしまう。逆に、なんてことなくない会話をしていても、声の小さな人だと聞き流されてしまうのではないか。
言葉の選び方にも人柄が出るだろう。ちょっと粗雑な言葉遣いだと、荒っぽい人なのかなと思ってしまうし、丁寧に言葉を選んでいると、落ち着いた人なのかなと思ってしまう。
なんてことない会話だが、意外に他人に聞かれていて、ここまで考えられてしまっているのだ。公共の場での会話には注意しておいたほうがいいのかもしれない。基本すぐ忘れるとはいえ、私のような、常にネタを探している者の餌食にならないとも限らない。