若さって即断。なのか?
タイトルを「若さって即断だ」と付けようとして「なのか?」と思ってしまう私は若くないと思う。「いや」「もし」「しかし」「あるいは」などと考え出してしまうのである。でも、若者はこうかな?と思ったら即、こう!と断定しているように私には見える。若さとは即断が容易にできること、だと思うのだ。
ドーナツを食べていたら隣のテーブルから「ってなくね?」的な会話が聞こえてきた。何がありえないのかは聞き取れなかったが、その何かは、高校生と思われる2人の間ではないことらしい。その後も「ない」ことに関する話が続いていたように思う。会話の全部が聞こえていたわけではないので、詳しくはわからないのだが、別にそれ「あり」でもいいのでは?と思うこともあったような気がする。しかし、彼女達は私のように「ありでもよくね?」とは迷わないのだ。多分。
帰りのバスに乗っていたら、若者が割と大きめの声で話していた。車内で話しているのは彼女とその同行者のみで、しかも同行者の声は小さめなので、1人の声だけが響いていた。なんとなく内容もわかってしまう。それは他人に聞こえていいことなのかなと、お節介にも思った。だが、話している本人にとっては、その話題を今ここで同行者にすることが一番大事なことで、それ以外のことはどうでもいいのだ。多分。
若さとは即断が容易にできること。即、こう!となれること。こう!と思ったら、こう!を掲げて真っ直ぐに走って行けること。もちろん、悩んだり迷ったりもすることもあるのだろうけど、悩み始めたら悩むことに真っ直ぐになるのではないかと思う。
こう!とすぐに決められないことも別に悪いことではない。優柔不断と言われるかもしれないが、思慮深いと言える場合もあるだろう。そして、即断かつ即実行することも、いい結果に結びつくばかりではない。思考時間が足りなかったがゆえの間違いなどもあるだろう。
それでも、若者の、こうかな?から、こう!に到達するまでの時間の短さと、こう!と決めたらそれ以外どうでもいいくらいのいさぎよさが、私にはもうなんだか眩しいのだ。