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(劇評)叶わない今日の弔いとして

劇団あはひ『光環(コロナ)』の劇評です。
2022年7月10日(日)14:00 金沢21世紀美術館シアター21

もしもあのときああだったなら。あるいは、もしもあのときああでなかったなら。違う今日が訪れていたはずだ。しかし、私達は皆、たったひとつの今日しか歩むことはできない。いくつもあった選択肢のほとんどは、ないものとして消えてしまう。さて、その消えてしまうはずの選択肢が、今日に留まっているとどうなるか? 劇団あはひ『光環(コロナ)』(原案:エドガー・アラン・ポー『盗まれた手紙』、作・演出:大塚健太郎、演出:松尾敢太郎)はそんな「もしも」から生まれる光景を舞台に投射した。

舞台上には大きな長方形の鏡が3枚立てられていて、それらは対面する客席をほぼ全て映し出している。黒い地面には大きな円形に白い砂が敷かれ、円形からはゆらめく炎のように模様が延びている。

下手奥から女性(古瀬リナオ)がゆっくりと登場する。彼女は、あそこにいる方々がやたらめったら気になる。鏡に映された観客達が彼女の言うところの、「あそこにいる方々」のように感じられる。そこで彼女はその男女、鏡に映し出された映像に声を掛ける。男女は日食を見るために出かけていると話し、そして互いを「100パーセントの」男の子と女の子だと言う。その物言いを「いい歳して恥ずかしくないのかしら」と彼女は感じ、「このあたりで、話題になってないのかしら」と思い、別の人物、烏の面のような物を付けた男性(安光隆太郎)に、このあたりの人かと問う。その男性はこのあたりの人ではなかったが、彼女の問いに答えようとする。

映像の人物も含め、この芝居は二人によって演じられる。しかし脚本に登場人物は、シテ、シテツレ、ワキ、アイ、後シテと表記されており、この芝居では二人が複数人を演じ、そして能の形式を取り入れていることがわかる。

続いて彼女は、ある女性が気になる。女性は、半世紀ほど前の今日に、川で命を落とした詩人について語る。女性が残した「あなたの名はツェラン」という言葉について、彼女はまた烏の面の男性に尋ねる。自分はツェランではないのにと。鏡に映し出される文章と語りによって、4月20日にセーヌ川に身を投げたツェランに対する女性の思いが表出されていく。

そして彼女は、ある男性が気になる。彼が語るのは、「138億年前のその起源、拡散を始める前のその単一」、つまりはビッグバンについて話しているものと思われる。烏面の男は語る。ダイヤモンドリングが出現すると。それは、選ばれなかった残り全ての可能性だと。舞台上には黒い円が徐々に広がり大きくなっていく。白い砂を覆っていく。選ばれたものの苦しみと、選ばれなかったものの無念、全てを日食が飲み込んでいく。

女性は選ばれ、実現した4月20日だった。女性が気になった者達は、選ばれなかった、4月20日になる全ての可能性の幽霊であった。いくつもの今日が起こり得るが、いつも今日は一つしかない。選ばれなかった今日はどこへいったのか。今日になるかもしれなかったもの達は、幽霊として今日に留まっているのだ。そのおびただしさを、私達は少しも意識せずに、また新しい今日を選び取っていく。後戻りはできない。その無常さ、そしてはかりしれなさを、『光環(コロナ)』は描いていた。

あれが起こらなければ。もしかして今日はもっといい日だったかもしれない。しかしその「もしも」は、どこまで行っても叶わない。叶わない無数の思いを弔うために、私達は「もしも」を想像し、あり得なかった光景を現前させるため、創造する。

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大場さやか
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