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自由に付いてくる責任を持って

昨日の記事で365日連続投稿を終えて、自分の中で決めていた連続投稿期間は終わった。今の所「2年目いきます!」と宣言してはいないので、これからは記事を書いても、書かなくてもいい。毎日投稿するという義務的な物から離れて、ほっとしたところはある。それはでも、気が抜けたとも言い換えられる。

気が抜けて、気合いのような物は今、私にはない。だが気が抜けたことは悪いことだけではない。妙な気負いがなくなったのは良いことだろう。

この状態は「自由」なのかもしれない。何をしてもいいし、どこに行ってもいいし、どう動いてもいい。行動は制限されない。その代わりに、誰かから指示をもらうことはできない。

真っ白な画用紙を渡されて、そこに何を描いたらいいのか、私は戸惑っている。画用紙に、恐る恐る線を引く。震える線は曲がっていて、それにこの色で良かったのかどうか、自信がない。画用紙をのぞき込んだ人にどう思われるかがとても気になる。こんなことなら「あの木を描いてください」と指示されたほうが楽だった。

だけど、私は楽をしたいわけではない。自分が描きたい、書きたい物を書いていきたいのだから、その自由に付いてくる模索や選択や決定の責任も引き受けなければならない。

今日からまた新しいスタートで、良くも悪くも少し気が抜けた私は、書きたいと思える何かをうろうろと探して、たどたどしくもそれを文章にしようと試みる。

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大場さやか
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