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思いがけず30年ぶりの再会 24.12.23-29

年の瀬が近づき、最後の週はリアルな取材の予定はゼロ。
リアルの打ち合わせ、オンラインでの打ち合わせ、オンライン取材のあいまに原稿を書く。

フリーランスにとっては、社会通念上の”長期休み”をどのくらい仕事に仕事に当てるか/当てないのか=どのくらい稼いでおくのか/稼がないか、が悩ましい。もちろん、充電期間としてたっぷり休むのもよいし、遠い場所や海外に行くのもよい。

私は昔から長く休むと、仕事の感覚(特に原稿を書く感覚)を取り戻すのにとても時間がかかるタイプなので、4日以上完全オフの日が続くのには不安がある。(単に貧乏性)。
今年は良い具合に、入稿期限が融通の利く仕事がいくつかあるので、年内に取材を済ませて、年末年始に書く予定。

金沢在住の浦和西高校同級生に再会した話

今週のクライマックスはなんといっても、高校の同級生との再会(オンラインで)と仕事の打ち合わせ。先方はコロナ禍で家族で金沢に移住した起業家。さすが雑草魂の旺盛な埼玉県立浦和西高校。たくましい感じ。まあ、自分の他人様のことを言えないのだけれど。

たまたま、私の記事(書いた記事ではなく、私が紹介されている記事)を見つけて復興のために岩手に移住したというところに興味を持ち、ちょうどライターを探していたということもあって連絡をしてくれたのだという。

ちなみにこちらの記事
【岩手】手塚さや香(いわて地域おこし協力隊ネットワーク) – ソーシャルタウンガイド

彼の部下もこのソーシャルタウンガイドに掲載され、その記事からスライドをしていくうちに私の名前を見て「あっ」と思ったのだという。

そんな流れで1時間半ほどオンライン。私の高校時代の記憶がなさすぎるためか、ほとんど高校時代の思い出話はなく(できず)、彼にとっても人生のターニングポイントになったという東日本大震災、そして移住して2年後に襲った能登半島地震のそれぞれの復興の課題、さらにそれぞれの大卒後のキャリアについての共有。

訊けば彼の奥様の出身が金沢で、東京にいた時に起業した会社の事業をそのまま金沢に持って行っている、というか、東京のクライアントの仕事を金沢でやって、3人の雇用も始めたという。

東京とのビジネスで稼いで地元におもしろい仕事を生む(若者の雇用を作る)  という彼の迷いのなさを目の当たりにして(オンラインだけど)、あー、それでいいんだよなと腑に落ちた。
私は、復興支援員が終わってから後は釜石や沿岸(いわゆる被災地)であまり仕事をしていなくて申し訳ないという気持ちがずっとあったけれど、岩手の内陸とか東京の仕事で稼いで釜石に納税しているんだから、そこに逡巡は不要だなと納得がいった。
これが最近聴いたポッドキャストで言っていた make sense ってやつか。

(meke senseが出てくるのがどの回かは忘れた)

同じことをいろんな人が言っていても、自分に腑に落ちるタイミングというものは確実にあって、その時じゃなければ意味をなさないのだ。

そんな20数年ぶり(四捨五入して30年ぶり)の再会があり、2024年最後に提出した見積は、浦和西高校同級生宛。

お仕事が成立するかはわからないけれど、同級生とお酒を飲みながら、ローカルでの事業のことやGAFAMにもいたという彼のキャリアについて聞いてみたい。
2025年は能登と金沢に行くしかない。

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