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復興が終わった今釜石にいる意味 24.11.11-17
▽取材1件▽定期のキャリアコンサルティング業務1日▽企業受入れ1件ーーのほかに、打ち合わせや企業のCSR活動受入れの準備などの1週間。
土日は休めたので、友だちとのランチ、カンファレンスでのインプットと自分のメンテナンス(美容院とサウナ)という週末らしい週末を過ごす。
復興支援員時代のつながりのお仕事
古い投稿を見ていただいた方はお分かりと思うが、私は復興支援員時代、釜援隊という組織に所属して釜石地方森林組合の外部連携のコーディネータ―として活動していた。毎日森林組合に出勤し、外部と森林組合とが連携して取り組む森林づくり活動の調整や広報などを担当していた。
復興支援員の制度が終わってからは、日々森林組合にかかわっているわけではないが、ミッションベースというか、調整とかファシリテートが必要な研修受け入れなどの際にサポートに入っている。
現在の仕事の中での割合としては小さいが、復興支援というミッションで移住し釜石にいる者としては大切なお仕事。
復興の仕事が終わっても釜石にいる意味って?
そもそも、今の自分の仕事のボリュームの中で釜石での仕事の割合はけっこう低くて、4分の1もないが(もっと低いと思う)、復興という文脈でつながった人や企業から必要としてもらえることは、自分が釜石にいることの大きな意味のひとつになっている。
もちろん、もっと釜石で自分の仕事の価値が発揮できれば、それに越したことはないが、人口3万人のまちにライティングやキャリアコンサルティングの仕事がそんなにたくさんあるわけもなく、そもそも都会にいたら市とか区の境など意識することもないのだから、岩手にいたとてこだわる必要はない。
話が脱線したが、そんなこんなで今週は復興支援員時代に自分がコーディネーターとして関わってきた乃村工藝社さんの活動の受け入れ。
森林組合では
企業の CSR 活動(社会貢献)の受け入れ
研修(学び)の受け入れ
ーーをしてきたが、今回のは後者にあたる。
別軸でいうと、
森林組合独自のつながりでの受け入れ
「釜石」という地域の文脈での受け入れ
ーーがあり、乃村工藝社は両方であるが、これまでは森林組合という単独の組織として乃村工藝社のCSR活動との接点を持ってきた。
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前置きが長くなったが、今回は乃村工藝社と接点を森林組合という単独組織の枠から広げて、釜石という地域とつながる可能性を考えてもらおうという観点で、釜石市役所、地域おこし協力隊など地域プレーヤーも招いて「オープンシティ釜石とのかかわりを考える」というテーマでの勉強会とした。
そして、乃村工藝社サイドからも空間づくりを手掛けるディレクターとデザイナーから講義してもらった。
クリエイティブの思考にふれる
結論から言うと、乃村工藝社のクリエイティブ陣の講義や質問への回答は、彼らがどういった空間を作り、どういった体験価値を創造するのかという視点にまったくブレがなく、あぁこれがプロなのね。
彼らはつくりたい空間に照らして木が必要なら使うけど、あまたある素材の一つにすぎない。
翻って、林業だけでなく、産地の側、言い換えると素材の供給側は、消費者や空間を使う人の目線でどんな空間価値を作り出すための木材なのかという観点が乏しい。
とくに林業でいうと、4,50年前に植えた伐採適期のスギやマツが山にある以上、少しでも多く、少しでも高く売りたいという事情が前面に出てしまう。
これからの時代、必要とされるのは、体験価値と共感だと私は思っている(唐突)。
それにしてもスマホで書くとまったく精度が上がらない。 noteはPCで書くにかぎるな。