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キャリア教育、記事を書く、など  24.7.22-28

「キャリアコンサルタント」という名刺を持っているものの、日頃のキャリアコンサルティング業務でかかわるのは社会人なので、学生のキャリア教育にはあまり関われていない。たまたま今週は、釜石の高校生、岩手大学の学生、にそれぞれ関わる時間をいただいた。改めて、これからの世代に自分が何かを伝えたいのかを考えるとともに、自分のこれまで歩んできた道のりを認識し直す良い機会になった。


高校と大学のキャリア教育

釜石コンパスは、釜石の高校生が市内外の多様な社会人と対話することで、多様な生き方やキャリアに触れるというキャリア教育で、今年で10年目。毎回、プログラムは少しずつ異なるのだが、今回は「きっかけさん」と呼ばれる社会人講師が、7、8名の高校生1年生と50分間、対話するというセッションを2回受け持つ。

メンバーを替えて2回なので、計15人くらいの高校生と話をすることができた。
1回目は大幅にタイムマネジメントをミスってしまった。キャリアコンサルタントというキャリア支援の専門家の端くれとして、現在の日本の働き方やこれからのキャリアについて話すところに比重を置き過ぎて、自分の経験の部分が薄くなってしまった。偶然に転勤で岩手という土地と出合ったことが、それが今の自分の根幹になっているというメッセージが多分、十分に伝え切れなかった。反省。

釜石コンパスで使ったスライド1

この反省を踏まえて、2回目のセッションは改良した。

今回は「フリーランスで副業」という働き方の部分に重点を置いて話をした。それは、今の時代は釜石にいてもどこにいても、いろんな働き方を選べる時代なんだということを伝えたかったから。最も好きなキャリア理論である「Planned Happenstance」理論も紹介した。

釜石コンパスで使ったスライド2

岩手大学 ペーサーミートアップ
水曜日は、ペーサー(社会人メンター)を務めている岩手大イーハトーブ共創コースの一環で学生と対話するペーサーミートアップへ。

学生数に対してペーサーの数が多めだったため、その場にいたペーサーが2人ずつ組んで学生たちと対話することに。こういう筋書きのない即興の場は好き。(プレゼンは苦手だが)。

4人の男子のうち3人はもともとは別の講義を取ろうとしていたが抽選に落ちてこの講義を取った、ことを説明した上で、「クリエイティブでおもしろかった!」「自分の人生に影響を与えてくれた」などと振り返っていた。
もう1人のペーサー丹野くんは、岩手出身で外資経験や事業立ち上げについて話せる。私は、一次産業や移住について話せるということで、ふわっと役割分担しつつ、6人でいろんなことを話した。
「雨風太陽」のことやら最近の花巻のことなどを花巻出身者に伝えられてよかったなと思う。もしかしたら、何もない地元だと思っているかもしれないけれど、新しいことを起こし上場までこぎつけた会社の経営者がいて、ちょっと元気がない商店街に見えるけれど、これから店を出すおもしろい人もいるのだということを知ってもらえたら、ちょっと見え方が変わるのではないかと思う。

全14回の講義の(単位取得のための)最終課題は、動画提出。めっちゃ現代的! まだ少ししか観られてないけれど、全員分(200人くらい???)しっかり観ようと思う。
この不透明な時代に、自分で課題を見つけ、仮説を立て、考え続けるための基本姿勢を伝えたのがこの講義だと思う。

そんな若者のキャリアにかかわった2日間以外は、原稿書きと(一社)いわて地域おこし協力隊ネットワークの研修事業の企画を進める。

盛岡の魅力

岩手大に行くのに併せて、盛岡で3件ほどアポ。一昨年、ある事業でご一緒した某社営業のKさんとお茶。東洋経済オンラインに書いている記事について丁寧なフィードバックを下さり、とてもうれしい。

なぜ、自分が盛岡が好きなのかを考えると、街並みとか雰囲気はもちろんだけれど、盛岡の人たちが人と向き合う時の姿勢みたいなものが好きなのかもしれないな、と思う。私がたまに来るから、とても丁寧に向き合ってくれるということなのかもしれないが。

「取材して書く」ということ

取材時間が足りなくて取材不足な感のある原稿がなんとか完成。

新聞記者時代、とくに経験の浅い最初の4年くらいは、取材不足だと感じたら何度でも通い、何でも電話をして不足を補っていた。今はそういうわけにはいかない。(そのぶん、掲載前に取材先と記事について相談できる)。足りない分は、自分の想像と仮説で補うしかない。

それがガチッとはまって取材先から「そうなんですよ。まさにこういうことなんですよ!」と驚いてもらうこともあれば、反応を見て、ちょっと違ったのかな……と申し訳ない気持ちになることもある。

取材時間も十分に取れて、考える時間・書く時間も十分取れるのが一番なのは言うまでもない。新聞記者時代は日々やることが多すぎて、その意味で1本の原稿に掛けられる時間に制約があった。一方で、フリーランスになると経営という観点を持たなくてはならない。時間をかけること=最適解ではないということをつくづく実感する。

「取材して書く」ということは、語ってくれた方の人生に新しい意味を付加する仕事だと私は思っている。年に数百本も取材を受けて書かれている著名人にとっては、1つ1つの取材にそこまで大きな意味はないかもしれない。しかし、これまで自身のことを語る経験が少なかった人(たいていの人はこちらに当たる)は、取材を受けて語り、その言葉が他者を媒介して記事になるという経験がそれなりに意味を持つこともある。取材されてそれが他者の言葉として多くの人に共有される経験そのものが、その方の人生になんらかの影響を与える(かもしれない)。
それは、私自身が復興支援員という立場で取材を受けるうちに感じたことでもある。それまで認知していた「自分」の上に他者から見た「自分」が重なることで、ちょっと輪郭が変わってしまうという感じだろうか。

そのことに気づいてから、取材して書くということの重みを、より強く感じるようになったし、取材がよりおもしろくなったような気がする。

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