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突然の別れや仕事やAI 24.10.14-20

「最後だとわかっていたなら」というコピーは、「3月11日を『大切な人を想う日に』」という岩手日報のキャンペーンで使われたものだが、離れて暮らしていた埼玉の祖母が10月17日に亡くなり、その言葉の重さをかみしめる。

最近は祖母や介護をしている母のこともあって2,3ヶ月に一度は帰省していたが、99歳の祖母は8月末に会った時も元気にしていたので、「最後だとわかっていたなら」、もっとほかに掛ける言葉があったかもしれないと思う。

在宅で介護していた母は、祖母が亡くなる日の朝、ショートステイに送り出したばかりの急な別れだった。自宅で穏やかに看取るために、物心両面で準備をしていても、思いがけない形で別れはやってくるのだ。
とはいえ、あと3ヶ月で100歳という大往生。大正時代から令和まで本当に長く、がんばって生きた祖母。むこうで穏やかに過ごしてほしい。

パラレルワーカー(複業者)の1週間

そんな衝撃的な出来事に見舞われるとは露知らず、金曜日の午後に母やらの電話があるまでは普段通りに仕事。この週は、いくつかの原稿の作成と10/24の地域おこし協力隊向けセミナーの準備に時間を割くと決めていたので、近場での取材はあったものの、出張はなく打ち合わせも少なめ。

フリーランスでしかも複業なので、当然のことながらいくつもの仕事を並行して進めている。
この週で言うと、
 ・ライティング① 生産者サイト用記事作成
 ・ライティング② A社オウンドメディア用記事作成(校正)
 ・協力隊研修①  資料作成、参加者管理
 ・協力隊研修②  募集業務(個別声掛け)、講師・協業団体との調整
 ・森林組合サポート業務①  企業受入れの調整
 ・協力隊定期面談
ーーといったところ。

ライターとAI

何をどうやってAIにおまかせできるだろうかと模索中。ライティング②はAIが文字起こしした文書をさらにAIを使って試行錯誤してみた。現時点では、効率化できているのかどうかわからないのと、話者(取材相手)の言葉――その言葉の奥にある思い――に向き合った時間と強度が、原稿の強度にもなるような気がしていて、どこまでAIにやらせるのがよいのか、自分の中で解がまだ見つからない。

もしかしたら、考えるという行為が原稿の強度につながるというのは、自分の思い込みなのかもしれないとも思う。けれど、そのプロセスを丁寧に経験しなければ、ライターという仕事をやる意味はないようにも思う。
一方で、書くことがもっと効率的にできるようになったら、もっとたくさんインタビューをして、話を聴くという行為に集中できるのかも、と思うと、それはそれで魅力的ではあるなと思う。
もちろん、インタビューとライティングというお仕事があるという前提ではあるのだけれど。



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