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説明文の読み方を考える

さやか星小学校 教務主任・第1学年担任 島岡次郎

A子さんが、草むらの中に隠れています。A子さんは、手で植物の茎を掴み、根っこから抜くことができます。抜いた草で身体を包み、草むらと同化するのです。

 上記の文は、国語科で学習した、「うみの かくれんぼ」という文章の内容のパロディーですが、第1学年に所属するA子さんが、昼休みに実際にやっている行動です。彼女は草で身体を隠しながら私に近付いてきます。しかし、身体がほぼ丸見えなので、私は50mくらい前から捕捉しています。でも、見つかっていないと思ってワクワクしながら接近してくるようすが可愛いので、「もう見つかってるよ」と野暮なことを言うことはせず、見つけていないフリをして、彼女の満足げな表情を楽しんでいます。

 さて、話を「うみの かくれんぼ」に戻します。国語の文章読解は、大きく「説明的な文章」と「文学的な文章」に分かれます。小学校の国語で学習した文章を振り返ると、「ごんぎつね」や「スイミー」のように、文学的な文章を挙げる人が殆どで、説明的な文章のタイトルを挙げられる人には会ったことがありません。そもそも、文学的な文章は物語として面白いため、記憶に残りやすいと思われますが、それだけが原因でしょうか。

 授業として考察すると、文章を多様に解釈できる文学的文章に対し、文と文のつながりや筆者の主張を論理的に読み解いていく説明的文章は、「面白い」「分かった」と感じられる場面が少ないのではないかと思います。また、「叙述に基づいた考えがもてれば良し」とされる文学的な文章に対し、読み取るべき内容が明確な説明的な文章は、教師が文章を課題分析し、どのような学習活動に取り組めば、文章から必要な内容を読み取る力が付くかを考えなければなりません。つまり、教師の読解力が授業に直結するのです。本気で教材研究をすると、とても手間と時間がかかります。そのため、機械的に文をなぞっていくだけの授業になりやすい。この点も、説明的な文章が子どもたちの記憶に残らない原因かもしれません。

 しかし、社会に出たら、情緒的な文章に対して自分の解釈をもてることより、資料など、説明的な文章から必要な情報を的確に読み取ることを求められる場面の方が多いはずです。だからこそ、説明的な文章の学習でも、「楽しかった」「分かった」と感じる機会をたくさん作り、読み取る力を高めなければなりません。そこで、今回の授業では、「隠れる場所」「隠れ方」「生き物の体の特徴」の3つについて、文章のどの部分を読めば分かるかをワークシートにまとめる学習に取り組みました。当然ですが、最初はキーワードが抜けていたり、全く違う部分を書いてしまったりしましたので、みんなで正しい答えを確認しました。ここまでは、よくある授業展開です。今回の授業では、同じ課題にもう一度取り組み、正しく書けているかを確認しました。さらに、他の生き物で同じ課題に取り組み、標的行動を練習する活動に取り組みました。この学習がとても重要なのだと思います。正しい答えを全体で確認するだけでは、標的行動が身に付いているか分からないからです。今回の単元では、追加の生き物を2つ学習した段階で、全児童が必要な文章を書き抜くことができました。「どこ」に「何が書かれているか」を理解し、生き物を変えて、内容が繰り返されているという文章構成を学びました。自力で文章から必要な部分を見つけ出し、ワークシートに書き込めた時の子どもたちの顔は、とても嬉しそうでした。

ここに書いてある!と気づいた瞬間です。
う〜ん・・・と悩む時間も、大切な学びです。

 さて、この単元では、最初のワークシートの段階で正しく読み取れているお子さんもいました。このお子さんには、同じ標的行動の追加課題は必要ありません。パーソナライズです。ここからは深掘り学習に進みます。「みんなが終わるまで待っててね」ではなく、より学びを深める課題として、海で隠れている生き物の動画を見て、「うみの かくれんぼ」と同じ構成で作文する課題を用意しました。難易度の高い課題ですが、教科書の文章を参考に、「隠れる場所」と「隠れ方」を変えれば良いことに気付けば、解決可能な課題です。

 ここで、子どもたちが私の想像を超えます。基本の課題を終えた子どもたちが五月雨式に深掘り課題に参加していったのですが、「場所は、『岩の近く』で良いよね。」とか、「岩に似てるのが特徴だから、それがそのまま隠れ方で良いんじゃない?」などと、話し合いながら課題を解決し始めたのです。子どもが教師の想像の枠を超える姿を見せてくれた時、心の底から幸せを感じます。


 教師同士で話していると、よく「打てば響く子どもたちですね。」と仰る先生がいます。私は違うと思います。子どもたちは、鐘ではありません。我々教師が鐘なのです。子どもたちは皆、「学びたい」という思いをもって、教師という鐘を全力で打っているのです。我々教師が楽しく分かりやすい授業で応えることができれば、子どもたちは鐘を叩き続けるでしょう。強化です。しかし、打っても鐘が響かなかったら、叩くのをやめてしまうでしょう。消去です。さやか星小学校の教員は、打てば響く存在であり続けるために、学び続けます。