洋書ってなんでこんなにむずいん?【読書記『欲望の見つけ方』・後半】
少しずつ秋の空気を感じ始めているさやかさんです、こんばんは。今日の記事は、昨日の続きを書いていきたいと思います。
さて、今日は”出口”と称されたパート2のお話です。
模倣のサイクルから抜け出すためには、反模倣的なものが必要
前半では、欲望にはモデルが存在し、ネガティブな模倣のサイクルが生まれ、それが危険な競争に繋がっていく、と指摘されていました。
そして、この欲望は”薄い欲望”だと。
本書中では、ミシュランの例が挙げられていました。ミシュランの競争に巻き込まれてしまったレストランでは、本来目指していなかった姿に取り憑かれて、しまいには命を断った人もいたとか…。
おいしい料理を提供したい、その原点に立ち戻れた人だけが、模倣のサイクルから抜けだせたのなら。その反模倣的な行動が、次に続く人のモデルになるのでしょうか?
濃い欲望を育てる
模倣の薄い欲望と対比して用いられているのが、”濃い欲望”という言葉です。
濃い欲望は、自分の声に耳を傾け、長い年月をかけて育てるものだそうで、そのためのコツが本書内には散りばめられていて、例えば、大きな満足感を得た行動を語ること、日常生活から完全に切り離され、深い沈黙に入ること(サイレント・リトリートと呼ぶ)などが挙げられていました。
生産的なことから離れ、瞑想し、目標を持たずに考えることもよいそうです。
確かに、現代人は競争にさらされすぎなのかもしれません。やれフォロワーだの、コスパ・タイパだの、果たして、自分とゆっくり向き合う時間を取れている人がどのくらいいるのでしょうか。
私はこの2年、いや、もっとずっと長い間、自分の人生について考えてきました。
それでもまだ結論はでません。それくらい、濃い欲望というのは見つけるのが難しい作業ということなのでしょう。
私たちにできること。
私たちは周囲の人間から影響を受けると同時に、影響を与える側でもあり、もしこの模倣のシステムについて知ってしまったのなら、「日々ささやかな形でポジティブな欲望のモデルになる責任」を伴う、と。
そして、大きな影響を与えることはできなくても、少しずつでもいい方向に導くことができれば、悪しき競争を減らすことができるかもしれない、と語っています。
自分自身がどう育てられるか、そして、周りにどんな影響を与えられるか。(正直私は、思想強めなところがあるので、伝え方で、「あの人とは別世界の人」と思われないように気をつけないといけないなと思いました。)
〜全体を通じた感想〜
完読できた!嬉しい!という気持ちが大きかったです。そして、ちょっとだけ自信に繋がりました。どのくらい理解できたかはわかりませんが、とにかく全ての文字を読み切ったという、自分にとっての「成果」に違いありません。
洋書の苦手なところの一つに、カタカナの名前(欧米人の名前)が全く覚えられない、という理由があります。毎回、「誰??」となるので、話が入ってこないのです。(苦笑)
今回はそこは雰囲気で乗り切りましたが、これも読み方としてアリだなと思いました。なので、これに懲りず、またいろんな本を読んでいきたいと思います。