私が助手だった時代は「すべてはエディターのために」という精神論が助手業のすべてだったと思っています。 今の助手さんたちが持っている精神論とは違ってきていると思いますが、 自分がエディターになった今、助手時代の経験が生かされていると実感します。 それは技術に関することだけでなく人との関わり方にも及びます。 中でもエディターとの関係は仕事の基本になっていると思っています。 助手は、エディターが編集に集中できるように素材の準備をします。 それと同時に、ほかの部署からの「あの素材の
私が編集部になったばかりの頃、助手はエディターに対して頭があがらないものでした。 エディターが仕事を請け、その作品のために助手を呼んでくるという構造だったからです。 映画の本数も今のように多くなく、仕事にありつけることが貴重だったこともそういう関係を生んでいた原因だったと思います。 エディターの言うことは絶対で、エディターが白と言えば、黒いものでも白になる、という世界でした。 とはいえそうやって築かれた師弟関係は、しっかりと編集部をチームとして成立させてくれていたようにも思
「今日から私は技師になります」と宣言したその日からエディターになれます。 もう助手の仕事はしません、と言い、助手の仕事を受けないで、仕事を待ちます。 「エディターは、その作品の最初の観客だ」と教えられました。 撮影された素材を見て、監督の意図を汲みつつ、素材のいいところを伸ばし、悪いところを目立たなくして、一つの作品へとつないでいきます。 台本通りにつなげば終わり、ではなく、分かりにくいところや話の流れが悪いところなどは構成を変えてみたり、なくしてみたりします。そのシーン
2015 年に一度技師から助手に戻った映画『信長協奏曲』では、新しいワークフローで仕上げを進めてもらいました。 本編集をダビングの後にしてほしいと提案したのです。 『信長協奏曲』で新しいワークフローにして欲しいと思った理由は、その前の2作品に遡ります。 編集助手を務めた『ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ』『ライアーゲーム -再生-』という映画は、編集が細かく、一本目の『~ザ・ファイナルステージ』は編集点が2800 箇所ありました(普通の映画だと800 ~ 1200 カ
私が編集部になって十数年の間に、フィルムの時代はあっという間に終わってしまいました。 2013 年に映画館のデジタル化への移行が完了し、フィルム編集は激減しました。 フィルムで撮影してデジタルで編集するという方法もすっかり見なくなったと思います。 今はほとんどの映画が、データで撮影し、データで編集し、データで上映しています。 RED ONE というカメラが出てきた時、フィルムを越えられないと言われていたデジタル画質の壁が崩れました。 しかし当時のRED ONE はデジタ
もうほとんど行われていないフィルムの編集についても書いておこうかと思います。 フィルムは本当にこわいものでした。 先輩たちにはやっていれば慣れると言われたけれど、最初はどうしたって恐ろしいものでした。 まずフィルムそのものが重い。 触ると指紋や傷がつくし、ちょっとしたことで傷がつきます。 ある時、下手に作業してフィルムを傷だらけにしたこともありました。 汚れや傷は、スタッフ全員で見るニューラッシュ(OK カットをつないだフィルムを試写室で見る)時にスクリーンにでかでかと
デジタル編集時の助手の仕事について書いてきましたが、その作業のほとんどがフィルム編集の時のやり方をベースに成り立っています。 私は2004 年、『真夜中の弥次さん喜多さん』『着信あり2』でデジタル編集の助手を経験した後、2005 年に『博士の愛した数式』でフィルム編集の助手を経験しました。 デジタルワークフローも把握しきっていなかった時期にフィルム編集を経験して、私はラッキーだったと思っています。 当時はデジタルで編集したものをフィルムに反映させる作業(フィルム戻し、ポ
2004 年、私がフリーランスで編集助手を始めた年は、映画はフィルムで撮影していて、フィルムからテープにダビング(テレシネ)したものをパソコンに取り込んで編集していました。 編集が固まったら、パソコンから編集データを出し、元のフィルムを切り張りし、音の仕上げに進みました。 当時はまだ、映画館はほとんどがフィルム上映でした。 入ってすぐ、先輩がざっくり書いてくれたものです。ここに書かれているように、フィルムとデジタルが混在していた時期でした。 助手は、フィルムの技術を覚え、
ダビングが終わって、合成カットなども入り、画も音も出来上がったら、それを一つにして完成したものをスタッフ全員で見ます。 それを0号試写と呼びました。 フィルムでマスターを作っていた時は、画音を合わせたプリントを現像する際、第1号プリントを初号プリント、2本目からは第2号、第3号プリントと言っていました。 それらは劇場にかけるためのプリントです。 スタッフで確認するプリントはまだ完成品ではないため、第0号、0号ラッシュといい、フィルムの焼き加減で変わる色味の最終確認を行っていま
ダビングとは、音の総仕上げの作業のことです。 日本では、録音部、効果部、音楽チームがそれぞれのパートに責任を持って映画の音を作り上げてきます。 ダビングでの編集助手の仕事は、リップのずれやセリフの抜けなどがないかを確認でしょうか。 録音部がダビング前の仕込みの際に、聞き取りにくい台詞を別のテイクから持ってきたり、アフレコ素材を貼付けたりします。 そのため、リップが少しずれていたり、台詞が抜けてしまうことがあるためです。 エディターは、自分が編集したものに対して音楽や効果音
24 pのテープ撮影が出てきた時に、「ピクチャーロック」という概念ができました。 ピクチャーロックしたら、本編集でもダビングでも編集を変えることはできません。 テープ撮影になり、本編集後、出来上がったものをテープに落とすため、1つのつながった画になります。 フィルムの編集の時には、切って貼り付けた所を剥がして、編集を直すことができました。 そのため、ダビング作業に入っても、音楽や効果音などに合わせて画を調整することができた
頭から変更した部分を書き出していきます。 このTC からこのカットを伸ばしたとか、切ったとか、このシーンはなくなった、などです。 シンプルな直し部分はいいのですが、シーンを細かく直したところはむしろそのシーンのデータを出し直して渡したほうが早い場合もあります。
合成部さんの作業が進み、合成チェックの日がやってきます。 これもスクリーンサイズでチェックした方がいいと思います。 細かいディテールなどの確認をするためにも、大きいサイズでチェックできるのが理想です。 合成チェックを重ね、ダミーやOK になった合成が編集部に上がってきます。 それを編集機に取り込み、はめ込み直し、前後の編集を調整していきます。 この作業を本編集の後にする場合、直した部分を音のチームに伝える作業が出てきますので、変更リストを出します。
合成がない作品などもうないんじゃないかというくらい、どの作品にもCG や合成カットがあります。 宇宙船や戦艦を合成するものもあれば、時代劇などでは電線や街の灯を消します。 今は携帯やテレビの画面を修正や合成したりもします。 合成リストは助手の時、毎回作っていました。 先輩にそう教えてもらったからという理由と、その方が自分で素材や状況を管理しやすいからという理由です。 合成リストはベースを以下の項目で作ります。 ・通しナンバー ・カットナンバー ・下画の内容 ・合成内容
編集と本編集では使用する機械やソフトが違うため、編集ソフトで使用したエフェクトのデータが、EDL やAAF などのデータに全て反映されません。 そのため、本編リストを作成します。 前述しましたが、私は本編リストをEDL をプリントして書き込んでいました。 タイトルダブりの箇所や合成カット、エフェクトの情報が書き込まれています。 本編リストでエフェクトが、複雑だったり、細かすぎたりする場合はエフェクトリストを添付しましょう。 EDL やAAF(Advanced Auth
私が技師をやったドラマについてくれた助手さんは、本編集からやってきた編集希望の子でした。 1から教えるつもりで接していて、私が実景リストを作ってとか、 モニター合成部分のリストを助監督さんからもらってとか、 合成リストも作らなきゃ、などなど言っていたら、 「本当にリストが好きですね」と言われました。 リストが好きか嫌いかで言われたら、好きに決まっています。 十数年助手をしてきて、リストに助けられなかったことはありません。 後日、その話を他の編集部友達や後輩と話して、”リス