#2 感情の純度
2年3ヵ月ぶりに戻ってきたわたしの
一番の変化がこの【感情の純度】だと思う。
今までわたしが感じていたのって
純粋な感情ではなくて
余分なものが混ざっていたものだった。
「喜び」も「悲しみ」も心地よくて愛おしい
わたしが今まで感じていたものって
何なんだろう・・・と今は不思議な気分になる。
喜びと思っていたものにも余分な何かがつき、
悲しみと思っていたものにも余分な何かがついていた。
それはある種の“重さ”であり、
これが過剰に感情を刺激していたように感じる。
いってみれば、
野菜という素材本来の味を感じるのではなく、
上からドレッシングやマヨネーズをかけたような。
それは、素材本来の味ではなく、
ドレッシングやマヨネーズの味だ。
それが一体になりすぎて、
わたしはそれを含んで「野菜」だと思っていた。
感情の純度が上がって、
「喜び」「悲しみ」(もちろんそれ以外も)を
そのまま感じるようになると
なんて心地よくてしあわせなんだ…という
感覚で内側が溢れかえった。
奇妙な言い方かもしれないけれど、
純粋に悲しめることが、心地よくてうれしくて愛おしい。
だから、悲しんでいるけれど、
それができるようになった自分に対して
心地よさとうれしさ、愛おしさも感じている。
体感として理解してなかった
「感情には良し悪しはない」
仕事柄そう伝えてきたし、自分でもそう思っていた。
今もそれは変わらない。
だけど、「感情には良し悪しはない」を
体感として腑に落としている人がどれだけいる?
かつてのわたしのように
そう習ったから、言われたからという知識だけで
知っている人はたくさんいても
体感として腑に落ちている人は
そんなに多くはないのでは?と思う。
なぜなら、
「ネガティブな感情に流されないコツ」
というような、
感情をコントロールしようとする情報が
世の中には溢れているから。
そもそも、そんな必要はないのに。
コントロールするということは
結局は、感情の純度を落とすことになる。
抑え込んだり、大袈裟に反応したり・・
それでは、不自然なことになってしまう。
「余分なもの」を取り除く
感情には「余分なもの」が
とにかく、やたらとくっついてる。
重たい「何か」だ。
「喜び+重たい何か」
「悲しみ+重たい何か」
文字にするとこんな感じ。
わたしたちは、この“+重たい何か”まで含めて
その感情だと思っているけど
実はそうじゃない。
この“+重たい何か”を取り除くことができてくると、
感情の純度は飛躍的に上がる。
もともとわたしは、感情の純度を
上げようと思っていたわけでもなく
ただ単純に、
「心がどこまで軽くなるか?」を
探求していただけだった。
その過程で、本来の感情にくっついている
“+重たい何か”に気づけた。
そしてそれを取り除いた先にあったのが
感情の純度が上がり、心も軽やかになった自分。
美しき「心の深海」
わたしが見つけたのは、
「心の深海」ともいうべき領域なのかもしれない。
深海はなんと、宇宙に辿り着くより難しいらしい。笑
でも、心の深海は誰の中にもあって
誰でもたどり着くことができる。
というか、まだ見つけていない人は
濁っていて気づいていないだけのような気もする。
感情の純度が上がると、
喜びは倍増!
悲しみは半分に
というイメージがあるかもしれないけど、
それとはまったく違う体験だと伝えておきたい。
喜びも悲しみもただそれとして
純粋に心地よく感じられる。
この表現が近い気がする・・。
例えば、
嵐が来たり、ヨットが通れば
海面(海の表面)は波立ったり揺れる。
だけど、深海はどう?
シン・・としていて静か。
心の中に揺るぎないブレない
自分の絶対聖域がある・・そんな感じ。
表面的には様々な感情を感じるけど
心の中の聖域はどんなときもシンとしていて静か。
だから、
いわゆるネガティブと言われる感情にも
振り回されることはなくなる。
揺るがない自分だから
安心してどんな感情も味わい尽くせる。
これ、勘違いしないでほしいんだけど
表面的にしか感情を感じられないって意味じゃない。
うーーーん。ほんと言葉ってムズカシイ
というより、適切な言葉が存在しない。
体感してほしいなぁ・・。
心は劇的に軽い・・けど、きわめて「普通」
心の深海が確立されてくると、
もう心を癒やす必要はなくなる。
だって、傷つかないんだもん。
さまざまな感情を感じたところで傷つかない。
だったら、癒す必要もない。
心の深海ってそういうところだよ。
いつも思うのだけど、
心を癒やして癒して人生終了・・
なんて、悲しすぎない?
癒し切ったその先に、本当の人生が始まる。
でも、心の癒しが終わった自分って
そんな特別なものでもなく、いたって「普通」の感じ。
本来、わたしたちって傷ついて生まれてこない。
生まれた途端に落ち込んでる赤ちゃんいないでしょ?
そんな、生まれたばかりの自分に戻るだけだ。
「普通」という言葉が昔は嫌いだった。
特別になりたいって思ってた時期もある。
でも今は、この「普通」の感じが
最高に心地よい。
そして、これを当たり前に感じられるわたしこそ
「特別」なんじゃないかとも思う。笑
ちょっとしたパラドックスだね^^