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グッバイ・メガネ

私は小学一年生からメガネっこ。
当時はそんな頃からメガネって、クラスでも私を含めて2人とか?だったような。母方の遺伝に加え、漫画を読んだりお絵描きばかりしていたことも手伝って、どんどん視力は悪くなるばかりでした。
6年生になった時、流行りはじめた縁無しのメガネを買ってもらった。けっこう高額だった記憶。母がおしゃれでいいわ!素敵!というもんだから、私も嬉しくなって、メガネをかけた私は可愛いんだと思い込んでいた。それが中学に進学すると状況が一変。

入学してすぐに服部幸應とあだ名がつけられてしまった(服部さんはなにも悪くないです)。
あだ名は人生を狂わす、とまでは言わないけれどそれでほんとうに学校来れなくなちゃう子とかいるんだろう。
でも私の場合は自ら服部幸應に寄せて笑いを取っていくくらいの図太さはありましたけれども、やっぱり一気にメガネ姿に自信がなくなってしまったのは事実でした。
そして高校入学と同時にコンタクトレンズを装着。グッバイメガネ。
私はコンプレックスを手放し羽ばたきました。そしてその後、恋愛において両親に多大なる心配をかけたことはまた別の機会に。

そして社会人になって近視を回復する手術があることを知ります。視力そのものを変えるなんて考えてもみなかった。
その時たまたま職場のお客さん数人から、その術を施したというその体験談を聞く機会が重なり、それはそれは猛烈におすすめされました。
「で、手術はどうだったんですか?」と尋ねても、麻酔するから全然平気だよというあんばいで、ほうほうそんなもんか?と受け取っていた。
そんなレーシックの話題がチラついていた時に3.11の震災が起こります。
私は裸眼だと、人間は肌色のモニュメントに、風景は抽象画のようにぼやんとしか見えていなくて、もし今後天災があったときコンタクトレンズもメガネもなかったら私は出口も人の流れもわからない。
そんなことを漠然とした恐怖として想像するようになったんです。それでそのレーシックとやらをやってみようと決心したのでした。

一応それなりに検索して良さそうな病院をみつけて行ってみると、先生は均一にこんがりと日焼けし真っ白な歯がきらめくイケイケのおじさん。
大丈夫か?と一瞬過ったけれど、人を見た目で判断しては良くない、レーシック術のパイオニアとされている方だぞ、と言い聞かす。
先生はカウンセリングでも終始チャラい様子で、私がネットで調べたネガティブな手術の情報を質問しても「だぁいじょうぶだから!」と一蹴した。オラオラカウンセリングが終了し、一抹の不安を抱えたまま手術当日を迎えます。


手術室は薄暗くひんやりとしていました。
でっかい機械がフォーーーーンとウォーミングアップする中、うっすらとサザンオールスターズの「エロティカセブン」が流されている。

落ち着かない。

そこへ5〜6人ほどの助手や看護師が続々と入場してきて、そんなにいる?と少し焦りはじめたところで先生が登場。
今まであんなチャラチャラしていたのに「では、はじめます」などと言い出し、急に緊張感がピリリと走る。
「目を動かさないで、まっすぐ見てて」と言われ、右目に眼球を固定する装置をギューっと押し付けられた瞬間「時計じかけのオレンジ」でまばたきを封じられるシーンがフラッシュバック、めっちゃ怖い!思ってたのと違う!やめたい!となる。
あああああなんて私はバカなんだー、やめときゃよかったーそもそも他人の言うことなんか信用しなければよかったーーー考えてみれば先生だって痛いことしますよなんて言うわけないじゃないか、あーーーもうめっちゃ痛いしもう絶対失明するわこんなの。

宇宙船が着陸するような音と桑田のシャウトがこだまする中、眼球にどんどんレーザーが照射されていく。赤い光がぼんやりと見え、流れ星のようなレーザーがチカチカと輝いた。


手術が終わると控え室にて目薬をさしながらの待機。目を薄く開けただけで猛烈にシパシパ、目の前に濃霧が広がっているようだ。本当にこの霧は晴れるのだろうか。祈るような気持ちで、目を閉じながら座り続けた。
そして三時間後、看護師さんに「そろそろ見えてくると思うんですけど」と言われ、ゆっくりと薄目にしていくと、さっきまでの違和感が嘘のように消えている。
自分の手が、膝が、ソファーが、ゴルフコンペの賞状の開催年月日が、なんの歪みも曇りもなく、スーパークリアに映ったのだ。
「み、みえます!みえる!すごい!みえてます!」
術後の視力はなんと両目とも1.5に回復。大成功でした。

しかし、それから私が裸眼生活できたのは12年。暗闇のスマホ、長時間のパソコン作業、インドア生活を続け、今は運転するときにはメガネが必要なほどに。
定期検診で先生に言われました。
「一番だめ、暗いところのスマホ」

結局生まれながらにして近視であることがデフォルトで、近視を招く行動が大好きな自分にあらがうことはできませんでした。
でもまぁ昔ほどド近眼ではなくなったし、メガネもおしゃれとして楽しめるようになりましたから…。
何より中学メガネ時代の自分への激励になったのではないでしょうか。
おかえりメガネ。

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