それは突然に⑧
みんなへの挨拶が出来ないまま私は休職へと道を進めた。退職、異動、新入職への対応などなど1番大変で1番人手が欲しい時期。「自分の体の方が大事」そう言い聞かせられ決断した休職。だけど罪悪感が大きすぎた…やらなきゃいけないこともあった。私の任されてる仕事だって…次への引き継ぎも出来てない。
『仕事がしたい。
みんなと一緒にこの大変な時期を乗り越えたい。』
私の中で大きな大きな罪悪感と後悔の渦が巻いていた。どれだけやりたくても自分にはあそこに立つ資格がない。出勤出来るかもわからない。患者さんを守れるかどうかもわからない。そんな今の私に看護は出来ない。
泣かないと決めても涙は次から次へと溢れてくる。どれだけこの仕事が好きで誇りを持っていたのかがわかった瞬間だった。
翌日から私はパートの母と姉の仕事の都合でどちらかとともに行動することとなった。自殺企図があったからだ。何をするにも声をかけられる。外の空気が吸いたくなっても1人では出れない。軽い軟禁状態だった。
ただ、私はまだ無気力だったので2人のされるままに動くしかなかった。好きなはずのテレビ番組も笑えないしご飯も味がよくわからない。気づいたら2人に迷惑かけてることや仕事してないことに涙が溢れてくる始末。
主治医から「有酸素運動しなさい。1人ではあかんで。誰かと散歩、やで」と指導を受けた。もちろん散歩することで周りに目を向けること、花や木を見ることなども含まれていた。母は膝が悪いので姉が散歩に付き合ってくれた。初めはただ俯いて歩くだけで姉が声をかけてきた時だけ顔をあげて花などを見る、という状態だった。だがそこに感想はない。けれど姉は毎回私と散歩に出掛けてくれた。
母は散歩が出来ない分、料理を教えてくれた。料理に興味はなかったけど時間があったので手伝いから始めてみた。料理をしだしたことを知った姉がある提案をしてきた。
『公園でお弁当食べよう』
桜がほどよく咲いてる中、自作のお弁当を持って徒歩10分圏内の公園へ散歩に出かけた。
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