母の日ロスタイム
5月12日(日) 母の日。
夜、ベッドに体を横たえた私は「やっちゃったー」とうめいた。
気分良く一日を締めくくることができなかった情けなさから出た声だ。
あと数時間で日付が変わる。つまり、母の日が終わってしまう。
今年の母の日こそは日頃の感謝に何か贈ろうと思っていたのだが、ばたばたと日常をこなしていくうちにすっかり忘れてしまっていた。
気がつけば母の日当日で、私は完全に出遅れたのだ。
テンプレで贈り物を選ぶのは卒業しようという決意は、早々に失敗してしまったのである。
詳細は割愛するが、私は母の日どころかありとあらゆる記念日に心からのプレゼントを贈れたためしがない。
カーネーションは毎年贈ってはいるが、そもそもうちの母は花を愛でる心を持ち合わせていないタイプだ。
花を贈っても、亡き愛犬の祭壇に飾る、というオチが見えている。
本人が喜ばないのであれば贈る意味もない気がするので、今年はカーネーションをやめて、何かしらの品を贈ろうと思っていたのに……。
今の今まで母の日のことを忘れていたとも白状できず、私は「当日で申し訳ないです」と前置きをしてから母に欲しいものを尋ねることにした。
母のリクエストは本と化粧品で、当日中に渡すことは叶わなかったが、近日中に届くよう手配ができた。
それはそれで悪くないと思う。
当日間に合わせのカーネーションを渡すよりは、母にとってよっぽど価値のある贈り物になったはずだ。
ただ、今年こそ心のこもったプレゼントを用意するぞと意気込んでいたわけで、そういう意味では私は失敗したのだろう。
失敗といえば、私のワースト1母の日のプレゼントはメロンの皮である。
文字にするとひどすぎてもはや意味がわからないが、実話だ。
3歳を迎える年の母の日のこと。あろうことか、私は母にメロンの皮をプレゼントしたのだ。
それは母方の祖父母と、母と私で食事に出かけた時のことだった。
ちょっといいレストランでの外食は、私の母から祖母への母の日の感謝を兼ねたプレゼントで、祖母の好物である蟹をたらふく食べ、皆笑顔だったらしい。
締めのデザートに、私はメロンを頼んだ。
運ばれてきたのはカットされたメロンではなく、大きな三日月カットのメロンだった。
私は大層喜び、あっという間に完食。そして、祖父母に耳打ちしたという。
「ママにもあげたいから、もうひとつ頼んで」
祖父母は喜んで快諾した。
聞けば、その時はなんて母親思いの子なのだろうと感心していたらしい。
店員さんも微笑ましい表情で追加の一切れを運んできてくれる。
「ちゃーちゃんが渡す」
そう言って私の前にメロンを置いてもらうと、次の瞬間、私は母の前に食べ終わり皮だけになったメロンを置いた。
「はい、ママの」
唖然とする母を無視し、私は運ばれてきた新しいメロンを自分の前に引き寄せ、
「ちゃーちゃんのぶん」
と満面の笑みでスプーンを握ったというのだ。
幸いその場にいた全員が爆笑してくれたのでオチはついたのだが、我ながらひどすぎる……。
子供ということを差し引いても、なかなか憎たらしくはないだろうか。
自分の母親に食い荒らした皮を押しつけ、自分は新しいメロンを頬張るなんて……。
これ本当に私がやったの? と絶望してしまうほどだが、当時3歳未満と幼く、実は私自身はこの話をまったく覚えていない。
母と祖父母がメロンを見る度に笑い転げて顛末を聞かせるので、台詞まできっちり記憶してしまった。
この思い出は、我が家で未だに話題にあがる鉄板内輪ネタなのだけど、聞く度に恥ずかしくたまらず、私はいつも身を縮こめて聞いている。
と同時に、幼いって最強だとも思う。
だって、さすがに大人になった今同じことをしたら、誰も笑ってくれないはずだ。
ちなみに、母はメロンが苦手だそうだ。
繊維が多いフルーツが好きではないらしく、メロンよりもスイカが好きだと言っていた。
もう、いろいろと突っ込みどころが多すぎる母の日である。
母の日に慌てて注文したプレゼントは、先週無事に母に渡すことができた。
思ったよりも時間が経ってしまったが、ワースト1母の日を思えば、今年は有意義な気がするのでよしとしたい。