世界一位の人だから語れる「みじめさ」について。
長尺なのに何度も観ている動画がある。現役プロゲーマー梅原大吾さんの公演動画だ。
7年前と言っても、ぜんぜん古くはない。いつも、この動画を観ると元気になる。自分の心惹かれる道が、世間の人が正しいと思う価値基準からズレてしまったときの苦しみを吐露している。
その正直な言葉に胸打たれる。
何度も、「いやいや違うでしょう? あなた、ゲームの世界大会で一位になった人じゃないですか」そんなツッコミを入れたくなるくらい、「みじめさ」について話してくれている。
「みじめさ」って、わたしの記憶にもある。「みじめさ」は思い出したくないし心苦しいもの。だけど、世界一位の人が「みじめさ」を語るとき、「え? あなた世界一なのに、そんなにみじめさを感じてたんですか?」と驚きがある。
それは、世間のふつうから外れてしまったことの苦しさだ。
この動画で真に伝えたいことは、
他人が正しいと思う価値基準で生きていないですか?
ただ、1つの問いだと思う。
そして、
自分がいいと思う道を選びましょうよ。
そんな、メッセージ。
だけど、他人ではなく自分がいいと思う道を選んだときの苦しさ、険しさについてとことん語っておられる。日本初のプロゲーマーという肩書き。売れ続けている書籍。公演できるほどの成功者ってほんの一握りだ。
めちゃくちゃスポットライトが当たっている人の陰の部分の話。成功している今だからこそ、安心して観ることができるのも事実。
しかしながら自分に問う。梅原大吾さんのように、同じ道を歩める? クラスの中心人物だったのに、流行りに合わせずクラスメイトと距離ができた小学生時代。みんなが勉強しているさなか、ゲームセンターに通い世代を超えて交流を続ける日々。同年代の人たちが次々に就職していく焦り。一度、手にした世界一の栄冠を誇らしげに披露せず、全く違う道に進む勇気。
人と違う選択をしたとき、もしも成功しなかったら悲惨だ。そして他人様は責任をとってはくれない。それでも捨てられなかった、いいや、捨てきれなかったものに自分を知る答えがある気がする。
みんながいいと思う道を選ばないことは苦しい。苦しいけれど、その先に本当に自分が好きなもの、手にしたかったもの、どうして捨てられなかったのか自問自答しながらたどり着いた答えの中に、ようやく、自分の心からの叫びを知ることできる。
きっと人生で選択をするとき、正しい、正しくないで選んだ道は間違いで、自分の心の声を聞きながら、もしかしたら間違えているのかもしれないと時々不安になりながら、もがき苦しみながら、どうしてもそれしか選択できなかったものが、思いがけずに受けとるギフトのような、人生の虹になるのだろう。
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ハスつかさん、よろしくお願いします。