遠回りは無駄にはならない
人生の遠回り。
もちろん、自ら望んで遠回りしたかったわけではない。
結果的に、人生の様々な流れの中で、遠回りを強いられただけで(苦笑)。
基本、のほほんと穏やかで明るい人間と、今でこそ感じてもらう事が多くなりましたが、遠回りを自分の中で受け入れる事ができるようになった事。
これが今の僕の佇まい、雰囲気を作り上げたんじゃないかな。
そう考えたら、遠回りも悪くなかったじゃん。
今はそう思えるようになった日々です😄
とはいえ、人生は限られている。
仮に人生80年だとしたら、僕はとっくに折り返し地点は過ぎている。
80年の中で15年遠回りしたなら、人生の5分の1が無だった事になる。
ただ、その15年の遠回りの中で、自分の中での気づきが得られたのなら、その15年もかけがえの無い経験として活かせるはず。
その気づきがあったからこそ、その15年の経験を、同じ悩みや苦しみを味わってきた人達に還元できるとしたら、それって実は物凄い事なのではと😄
僕の15年の遠回りの理由は
【度重なるパワハラからの心身の崩壊】
です。
その15年を書き綴ろうとしたらキリがないので割愛しますが、天井のシミの数を数えるのが日常のルーティンだった時期を乗り越え、遠回りを強いられた経験を活かし、社会に還元できる事ができるかもしれないと、今の僕は気づき始めています😄
今僕が取得を目指している資格です。
今年12月の受験に向け、現在準備中。
僕と同じように心身の崩壊の経験がある方に、微力ながら人生の後押しができるかもしれない。
そして僕自身も、遠回りは決して無駄にはならなかったと、晴れやかな気持ちで今後の人生を有意義な時間に変えられたらと😄
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