見て見ぬふりをする社会になってほしくない
乗り合わせた乗客が嘔吐し、とっさに自分のワイシャツを脱いで処理した男子高校生17歳のニュースを見た。
その彼が言った言葉が、「見て見ぬふりをする社会になってほしくない」。
私はこの言葉をしみじみと感じていた。
町の中で、「見て見ぬふり」をどれだけしているだろうか?
じっくり考えてみてほしい。
私の息子は、もうじき1歳半になるが、彼は本当にすごい。
誰にでも「バッバーイ!」と挨拶のタッチをしに行くし、近くに誰かいれば、必ず顔を見にいく。
「見て見ぬふり」なんてものはないのだ。
彼は、自分のことが自分でできない。
洋服は自分で脱げないし着られない。
コップでお茶を飲もうとするとこぼれるし、フォークが果物にうまく刺さらない。
ジャンプしようとして転ぶし、段差も手やお尻をつかないと降りられない。
だからなのだろうか。
いつも、気にかけてもらっているからなのだろうか。
彼は、「見て見ぬふり」をしないのだ。
私もあなたも、あの人もその人も、昔は子どもだった。
いつからだろう。
いつから「見て見ぬふり」をするようになるんだろう。
何が、そうさせるんだろう。
「見て見ぬふりをする社会になってほしくない」。
男子高校生の言った言葉は、世の中の本質をあたりまえに捉えていて、すぐに身体が動いていて、しみじみと感じさせられる。
”古くなってしまった”大人は、”新しい”子どもたちから、もっともっと教えてもらうべきことがあるのではないだろうか。
引き続き「コドモにいいを あたりまえに」考えられる空気を求めて、活動していきます。みんなで動けば、きっと変えられる。そう信じてがんばっています。ぜひ力を貸してください!