笑顔で「お疲れさま」でしたと言える自分で生き続けたい
人の死に慣れている自分がいる。
新卒から大学病院に看護師として就職した。配属先は救急外来だった。毎日救急車が来て、タクシー利用の方から重症な方までたくさんの人と出会ってきた。その中で、人の死に際に立ち会うことも多かった。
どんなに進歩していても医療では救えない命がある。
そんなことはわかっていたけれど、初めて目の当たりにしたときはこんなにもあっけなく命は終了してしまうのかと、目の前で起きている出来事をどこか客観的に見ている自分がいた。誰かにとって大切な人だということは頭では理解していても心が追いついていなかった。
人として大切な何かが欠けているのかもしれないと何度も自己嫌悪に陥った。目の前の死に慣れていく自分が怖かったし、そんな自分が嫌だった。今も人として大切な感情が欠落しているような感覚がある。
遊び惚けていた大学生が、いきなり社会人として慣れない環境で働き始めて、身体も心も悲鳴を上げていた時期だった。慣れるしか、自分の心を守る方法はなかったと正当化しても、そんな自分をなかなか受け入れることができなかった。
そんな日々を送る中で、あるときから、心の中で言葉をつぶやくようになった。
「お疲れさまでした」
そう心の中でつぶやきながら、どんな人生を歩んできたのかを想像する。目の前の人がやっと人として認識できるようになる。やっと心が追いついてきた感覚があった。
人の死に慣れている自分は正直怖い。
けれど、その経験をしてきたからこそ、人生を意識するようになった。今を大切にしたいという思いが強くなった。人生なんてあっという間に終わってしまう。タイミングは誰にも決めれないし、予想もできない。
私にできるのは、いつお迎えがきても、笑顔で自分に「お疲れさまでした」と言えるように生きておくことだけかもしれない。
誰かに伝わることを願って🌕
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