『昼も夜も彷徨え』トークイベント①無関心な人を振り向かせるのは難しい
今日はこの暑い中、北千住という微妙な場所にお集まりいただきましてありがとうございます。一応レジュメをお渡ししていますが、なにせ彷徨う話ですし、私もあっちこっち彷徨う人間なので、話も彷徨っちゃうかもしれませんが、すみませんよろしくお願いします。
ちなみに、本、買ってないよ、まだ読んでないよ、って方もいらっしゃると思います。ひとつだけ重要なネタバレ注意があるので、そこだけ触れないようにお話しますね。
表紙の絵にこめられた「言葉」のシンボル
最初に、この表紙の絵解きから始めたいなと思います。
この絵を描いてくださったのは、平澤朋子さんといって、主に児童書や絵本を描かれることの多い絵描きさんです。パッと見、中公文庫らしくないというか「ラノベみたい」というご意見もあるんですが、私としては、外国映画のポスターのような、古典童話のような感じで描いてくださるとおもしろいな、と思ってお願いしました。
で、この絵を見て、「あれ?」って思われた方、いらっしゃるんじゃないでしょうか? なんとなく漠然ともっていた「ユダヤ教徒」のイメージと違うな、と。ユダヤ教徒といえば、頭に丸帽子かぶって、もみあげ長くして、黒い縁取りのある白い布を肩からかけてお祈りしてる、みたいなイメージとかって、ありませんか? この絵だと、ユダヤ教徒だか、イスラーム教徒(ムスリム)だか区別がつかないですよね。 そこで、次をご覧ください。
実際にはこの2つだけに分類されなくって、もっと多様なんですけど、大きく分けて、この2つの文化があるって知ってると、これからも、いろいろ便利だと思います。
この分類でいくと、スペイン出身で、イスラーム圏を放浪していたマイモニデスたちは「セファルディ」の方になります。
現代の私たちが持っているユダヤ教徒のイメージは、どうしても、アンネの日記とか、アウシュビッツなどのイメージが強いと思います。ホロコーストの現場にいたほとんどのユダヤ教徒はアシュケナージ系でした(ちなみに、アシュケナージというピアニストはお父さんがロシア生まれのユダヤ系です)。
だから、私たち日本人がユダヤ教徒に対して抱いてしまうイメージも、知らず知らずのうちに西洋や東欧のアシュケナージだけに偏っている可能性もあります。
しかし、中世まで遡れば、地中海沿岸を取り囲むイスラーム圏に住んでいたセファルディたちが大勢いたわけで、彼らは、祭祀の時はユダヤの伝統的な格好をしていたと思いますが、普段の日常生活では、迫害があろうとなかろうと、おそらく現地のイスラーム教徒たちに溶けこむ格好をしていたのではないか、と思ってこんな絵にしてもらいました。
ちなみに、この3人が主なキャラですが、それぞれ象徴的な小道具を持っています。
主人公のモーセ(マイモニデス)が右手に持っているのが、葦のペン。左手の方は筆筒です。蓋をとると、中に小さなインク壺と、筆が入れられるようになっています(日本の時代劇なんかに出てくる「矢立て」ですね)。これを、物語だとモーセが腰帯を巻いて、そこに短剣のように挟んでいることにしてます。彼は学者なので、ペンと筆箱が最大の武器になります。
弟のダビデが胸にしっかりと抱いているのは紙の束。彼はとにかく兄の書いたものを守ろうと苦心していました。この話は12世紀で、日本でいうと平安から鎌倉時代に移る途中の源平合戦の頃なんですが、日本にはすでに中国から紙が伝わっていたように、地中海のイスラーム圏にも紙は普及していました。
一方この時代のヨーロッパは、まだ高価な羊皮紙を使っていて、一般人が本に接する機会はほとんどない暗黒の時代でした。アラブと中国はともに「書の文化」だと言えます。当時のイスラーム圏の文化水準は世界最高レベルでしたし、イスラームの世界では学問を非常に重んじます。そういうことも、今回、本を読んで初めて知ったという方もいて、うれしかったです。
それから、ライラ。彼女が持っているのは、ちょっとわかりにくいけど、護符入れのついたペンダントです。ユダヤの世界だとトーラーの言葉を、イスラームの世界だとコーランの言葉を書いた紙を丸めて筒の中に入れて、首からぶらさげるペンダントですね。ライラはこの中に、とても大切な言葉を書いた紙切れを入れて、肌身離さず持っていました。日本でもお守りはありますけど、ユダヤやイスラームの世界だと「文字」がお守りになるのが、いかにも「啓典の民」という感じです。
とすると、3人とも、「言葉」にまつわる小道具を持ってることになりますね。まさにそれが、この本のテーマにもなるので、ちょっと表紙の絵解きから話を始めました。
なぜ出版までに10年もかかったのか?
この本は、2007年夏にまず、シナリオを書いて、骨組みをつくってから半年ぐらい史料を読み込み、2008年に3か月で書き上げたものです。ところが、出版されたのは2018年。この10年の空白の間、数社の出版社に持ち込み、いろいろなお言葉をいただきました。
10年間、ずっとこれを言われ続けたら、けっこう凹みますよ。心折れます。やさぐれます。読んでくださった編集者さんは、内容は評価してくださるんですが、「商業的にペイできるかというと難しい」というご判断になります。
これが学者の書いた研究書なら一定部数は保証できるのですが、日本でほとんど知られていない人物について、無名の作家が書いたとなると、まあリスクしかないですよね。
あと、読んだうえで断ってくださるのは全然いいのですが、一番困るのは、高い評価をくださって、前向きな約束をしたまま塩漬けにされるケースです。中には4年ひっぱったあげくにうやむやにされたこともありました。
ふなっしーの言葉に救われた
そこを救ってくれたのが、実はふなっしーでした。私が原稿を抱えて彷徨っていた時に、同じように船橋市でたらいまわしにあって、それでも一梨でがんばっていたふなっしーにとても勇気づけられました。
私は物書きなので、力のある言葉の遣い手にやっぱり惚れ込んでしまうんですけど、ふなっしーもいろいろ心に響く名言が多いんです。
そのひとつに、「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だと思うなっしー♪」ってのがあるんです。嫌いって言ってた人が後から好きになってくれるケースはあるけど、無関心な人を振り向かせるのは難しい、と。ふなっしーのことも、最初は「何だあれ?」とか「うるさい!嫌い!」とか言ってた人が、だんだん気になってきて、あとからじわじわハマっていくことが多いんだそうです。
ほかにも、こんな名言があります。
で、この本の話に戻りますけど。
日本でイスラームやユダヤ教の話をしようとすると「よくわからない遠い世界」だといって、最初から敬遠したり、無関心でいる人って多いと思うんです。それは、出版界でも同じなんです。
マンガだと、最近はいろんな国や時代の話もどんどん出てきましたけど、小説の世界はそれより一歩遅れている印象を受けます。でも、結果的に中央公論新社さんに拾っていただいて、今日ここに、関心をもって来てくださった方がこれだけいてくださって、本当にうれしいです。
実はこの本、まったく宣伝をしていないので、クチコミだけでじわじわ~って感じなんですが、アマゾンのランキングの歴史小説部門で最高6位になりました。アマゾンの歴史小説部門って、100位まで見ても、9割が日本史です。あとの1割が中国か、メジャーどころの西洋。ユダヤ・イスラームものはほぼありません。こんなマイナーな題材が一瞬でもベストテン入りしたのは、何かの間違いというか、ホントに関心をもって下さった読者の方のおかげです。
今後もこんなふうに、ユダヤやイスラームを描いた歴史小説が増えて、日本でも身近な存在になるといいな、と思います。
現代人にも共感できる! マイモニデス4つのキーワード
さっき「マイモニデスって、一言で言って何した人なの?」と聞かれた話をしましたが、ウイキペディア的に答えるなら、
となり、3大宗教のすべてを横断した人なので、説明するのにどうしても3行は必要になります。
でも、これだと、立派な偉人の伝記みたいになってしまいますよね。私は物語作家なので、マジメで偉いだけの人にはあんまり関心がなくて、それよりは、自分自身がシンクロできる部分、それもとくに弱い部分とか、歪んだ部分、アンバランスな部分に興味を惹かれます。
そこで、モーセ=マイモニデスについて、以下の4つのキーワードをあげてみました。
【自由人モーセ】
【放浪者モーセ】
【言葉の人モーセ】
【ソウル・ヒーラーとしてのモーセ】
次から、ひとつずつ見ていきましょう。
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