「表現」に向かって
正直、「表現」には至っていない。
山田ズーニー先生の表現講座の時のような、ひと粒を削り出すような作業ができていない。
だけど、
考えや気持ちを自分の外に表明することへの自信の無さや、
誰よりも先に自分が、他人と自分を比べてしまうこと、
自分が劣っていると思ってしまうこと、
を克服したい。
「才能ナシ」を突き付けられる気がして逃げているだけ、みたいなのはもう嫌だった。
そもそも「才能ナシ」って何だろう?とも思う。
自由に思い考えることに「才能」というのはないだろうし、良いや悪いも自分の中だけであればそれも自由だ。
うまい、って。
うまい、って?
自分の本当の気持ちが
それを伝えたい・見せたい相手に
正しく素直に伝わるように表せたら、
美しいことばや言い回しじゃなくても
それで泣いちゃうだろうな、自分で。
講座で、
「これが私の、核心のひと粒です」ということを、外に向けて発した時、
涙が出た。
削り出している時は、
「私だけ下手くそかもしれない」
「うまく発表できなかったらどうしよう」
「これで本当にできてるんだろうか」
不安が大きくて、会心の一撃なんてできる気がしなかった。
だけど、
そんな不安だらけの表現でも、
「削り出した」という事実が、
自分自身とがっぷり四つで組み合ったという事実が、
「これが私の、核心のひと粒です」に勇気を持たせてくれたと思う。
その事実をくれたのは山田先生であり、共に受講した同期のみんなの熱い発表や真剣な眼差しも、私の背中を押してくれた。
みんな、心から受け止めてくれた。
本当に感謝している。
noteを始めることも、最初はとても躊躇した。
自分の気持ちを万人に知ってほしいとは全く思っていないし、
自分の考えや気持ちは、自分の中や親しい人と話したりして、共有したい人と共有できれば良いのじゃないか、と思っていた。
それは、こんな見ず知らずの色々な人が見る可能性があるnoteを書いている今も、思っている。
私には「死ぬ前に絶対燃やさなきゃ死にきれない!」みたいなノートがたくさんある。
自分の考えや気持ちは、そういう
「自分だけの秘密の場所」に。
そう思っていた。
そのせいか、
インターネット上に自分の考えや気持ちを発するということは、
「自分だけの秘密の場所」がなくなることなのかと思ったりしていたのだ。
誰も、「全部発表しろ」なんて言ってないのに…!!
今日までnoteを書いてみて良かったと思っているのは、
「発する部分も自由だ」ということを知ったこと。
発したくなければ、誰もこじ開けたりしないということも、ちゃんとわかった。
じゃあ、どうして私はnoteを書いて「外に出す」のだろう?
本当の気持ちを「伝える訓練」をして、
「自分」や「親しい人」以外の人にも
何かを伝えたい時に、
勇気を持って、躊躇なく私の気持ちを差し出して、
伝えたい相手に心からの気持ちを
まっすぐに伝えられるようになりたいと思うから、だ。
だから、noteで
自分のよく知らない人に向けて発する訓練をさせてもらっているのだ。
実際、何というか、
自分の考えや気持ちを整頓するクセができてきていると思う。
整理がつくまではいかなくても、
今までは、思うところがあっても「後でゆっくり時間がある時に考えよう」と後回しにして、
…忘れてしまう
ということが多かったと思う。
そういうのが、ほんの少しずつだけれど減っている気がする。
まだ外に向けて発するので精一杯。
くだらない、どうでもいいことをつぶやいたりもする。
でも、
「表現」には至っていないけれど、「表明」を続けていきたいと思う。
「表現」に向かって、
ずっと歩いて行きたいと思う。