感情の感じ切りは自由な人生への入り口
私が感情の感じ切りを実践していく中で、一番大きな変化として実感しているのは
私の中にずっとあった「人生を苦しめる思い込み、恐怖、不安から自由になった」って事です。
この思い込みが解消した事による変化は本当に大きく、どれだけ生きやすくなかったか。
何等かの思い込みを自覚されていたり
定期的に起こる「いつもの辛いパターン」
どうする事も出来ない状況
人生に対しての諦め癖
等があり、それらを解決したいと思われる方には感情の感じ切りは本当におススメです。
※間違った方法で実践されると、上記の内容をより強化します。
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私は小さいころから
初めての場所に行くのが怖い
男性が怖い(父親も)
仰向けで眠れない
性的暴行を受ける夢を毎晩のように見続ける
何か悪いことがきっと起こるという前提で生きる
早々に「どうせ無理だ」と諦めてしまう
人の言動の影響によって私の人生が大きく変えられる
他人にとって私はどうでもいい存在
努力は報われない(他人の評価が著しく低い)
などを自覚して生きていました。
なぜ、自分の中にそのような自覚があるのかは全く分からず
「そういう星の下に生れたからしょうがない」
「生まれながらに不幸なんだろう」としか思っていませんでした。
上記の自覚は年齢と共に変化する事もあり
思春期の頃には仰向けで眠れないとか、男性が怖いとか、性的暴行の夢などは無くなりましたが
「人の言動の影響によって私の人生が大きく変えられる」
「他人にとって私はどうでもいい存在」と言う事は現実に色濃く表れるようになり
そこに、月星座の影響もあり「人気があるはずなのに」と言う不安も出てくるし、その不安を掻き立てる事象ばかり起こるようになりました。
気づけば常に現実は私の不安を煽る事ばかり。
人間関係も常に不安を掻き立てられる事ばかり起こるし
努力しても外側の評価は低いし
でも、「こういう人生なんだから仕方ない」と受け入れて
何が起きても適当に流したり、自分都合に解釈したりし、変にプラス思考で生きながら受け流し続けるしか出来ませんでした。
でも、状況をなんとかしてくて「おまじない」にハマった時期でもありました。
そこから何年もの月日が経ち、幼稚園の時に受けた性的暴行の記憶が蘇った事がありました。
相手の顔、状況、その場の空気感、体が覚えている事、何も考えずに無になることでやり過ごしていた事・・・
などなどが一気に蘇り、それと同時に
すでに自覚していた事の全ては幼稚園の時の経験が根っこにある事
未消化のままの傷は自分の人生に深く影響する事
そして、その未消化の傷は昇華されるまで人生に影響し続けること
を思い知ったのです。
でも、未消化の傷を終えれば「こういう人生なんだから仕方ない」と受け入れるしかなかった人生を終わらせられるんじゃないか
という希望の光が見えたのです。
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感情の感じ切りで幼稚園の時の記憶に向き合いました。
とは言っても簡単な事ではなく、向き合おうとしても恐怖心が先に立ったり
あの時のことを思い出す事、向き合う事で、また悪い事が起るんじゃないかと不安にもなったし
幼稚園のあの時の経験だけ向きあえばいいのかと思ったら
その経験が引き寄せた別の辛い思い出にまで向きあわねばならず
まぁ、向き合わなきゃならないことが膨大過ぎて、遅々として進まない日々を数年間過ごすばかりでした。
でも、時間はかかっても諦めず
日々の経験から少しずつ学んだりする中で
向き合っている傷がどれほどまでに辛くても、今の自分には向き合えないと思っても
今の自分が対処できるから思い出している事も理解できたので
なんとか向き合い、幼稚園時代の経験を過去にすることが出来ました。
あの時の経験は辛い出来事に変わりはありませんが
でも、あの経験をした日から、あの経験の傷を終わらせ過程を経験したからこそ言えるのは
どれだけ辛い過去や、トラウマも
それらによってできた思い込みも、思い込みに支配された苦しい人生も
自分の感情に向き合う事で終わらせることが出来るという事です。
そして実際、私は私を苦しめる
「人の言動の影響によって私の人生が大きく変えられる」
「他人にとって私はどうでもいい存在」と言う思い込みから自由になったことで生きやすくなったか。
この変化は本当に大きかったです。
感情の感じ切りは魔法ではありませんので
感じ切ったからと言って、何か大きな変化が突然起こる事もなければ
人生が突然好転し始めることもありません。
でも、確実に苦しい人生を終える手段だと経験上言えます。