私は私。私が生きたいように生きる。
の続きみたいな内容ですが。
結局、世間で何が良しとされようと
あの人が何と言おうと
これが正解だと言う基準を国が国民に与えようと
自分がどうしたいのか??でしかないわけで。
でも、世間があの人が・・・と他人に目を向けると
周囲は「あれしろ」「これしろ」「あれが正解」「それは間違い」を言ってくる。
ギュテさんの動画より。
お化粧ってすごいな!!きれいだなー!!としか思ったことなかったので
彼のセクシャリティがどうなのか?なんて気にしたことなかったけど
そこに注目するひと、彼がどこに属するのか?と、カテゴライズが大事とする人はまだまだ多いのでしょう。
そこがハッキリする事の重要性が私にはピンとこないけど。
彼の動画を見て、改めて外側なんてどうでもいいな!!って思いました。
ただ自分と言う存在が今ここにいるだけで、それ以上でも以下でもない。
海外のFBの性別の選択肢は50を超える、というお話もされていました。
海外ではそれくらい多種多様な性が認められているのでしょう
もう、本当に「私は男です」とか「女です」なんてカテゴライズは古臭く
どこまでも、どこまでも「あなたがいる」それだけの話。
自分の人生は自分の為にあって
その人生の中で何を経験するか?どれだけの幸せを実感できるか?が大事。
もちろん、自分の人生や自分の時間はあの人のためでも、常識や正解に従うためでもない。
決して、辛いとか苦しいだけで人生を埋めるためにあるんじゃない。
* *
私の生まれは全くミレニアム世代じゃないですが、大好きなドラマの一つ。
彼女たちの人生の中でいろんな事が起こりながらも、彼女たちは常に自分がどうしたいか?に意識を向け、「こうしたい」と思ったらリスクを承知で行動する。
決して「こうしたい」から逃げ出さない。
「こうしたい」に従った結果、傷つくこともあるけど。
話はちょっと変わり
彼女たちを見ていて思うのは、「好き」と感じる関係性は努力しないと深まらないってこと。
相思相愛の相手が見つかったらあとは順風満帆、なんてことはなく
双方が相手を理解しよう、受け入れようとして、自分の思いを一生懸命言葉にして伝える。
疑問に思ったり、納得いかなかったら話し合う。
その努力した結果の上に関係性は出来上がる。
相思相愛は努力の結果なのでしょう。
子どもの時、銃乱射事件を身近で経験したジェーンと、高校時代はライフルで射撃部を楽しんだサットン。
ジェーンはサットンが自宅にライフルを置いていること(二人はルームシェアしている)に「理解できない」と突っぱねます。
でも、サットンの射撃を見学したり、自分でも色々と調べたりする中で
ジェーンは以前のような中に対する頑なな態度は和らぎ
サットンは「(高校時代の自分に)しがみついてたかも」とライフルを手放すことに決めました。
自分が正しい!自分に従え!と自分の意見を相手が受け入れることを強要するのではなく
相手の意見や考えを聞きつつ、いい塩梅を探していく。
この過程が大事だなぁ、と。
人間関係には様々な学びがありますが
「好き」だとお互いが感じ、関係性が出来る相手っていうのは
理解しあえなあいけど理解したいと思う、そのための努力をしたい相手なんじゃないかって思います。
理解できないけど、理解したい、そのために努力をする
その結果、お互いが成長できるし
愛するって言う意味が一つ深まる。
そういう事なのかなって思っています。
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