自分を助けることが出来るのは自分だけ
「前科者」の最終話で多実子が佳代に
最初から刑務所に入れてって言ったじゃないですか!
誰も聞いてくれなかった、誰も!
こうなるって分かってたのに
私、分かってたのに・・・
先生は私がどうなっても本当には傷つかないでしょう?
少しの間だけ気の毒に思って
次の日になったらこの人みたいに別の対象者に優しくするんでしょう!?
私のことだって助けられなかったじゃないですかぁ
保護司ってなんなんですか?
何にもできないんなら、最初から優しくなんてしないでよ!!
住んでる世界が違うんだから!!!
と言います。
多実子は何かキッカケがあれば自分は救われると考えていて
自分を助けてくれるのは誰か特別な人で
なんだか凄い、「神様みたいな人」が自分を助けてくれれば、こんなつらい世界から抜け出せると信じている。
そしてショウを自分から遠ざけることが出来た佳代はすごい!!
この人なら自分を助けくれると思ったのに違った。
この人は自分を助けてくれなかった!なら期待させないでよ!!という怒りが上記のような発言になった。
のだと思います。
彼女にとって保護司は自分を救済する人になっていた。
また刑務所に入れれば、穏やかな生活を送れる
刑務所に入れば、きっと〇〇になれる
そんな刑務所に入ることで、自分は救われるとも思っているのでしょう。
でも、きっと刑務所での刑期を終えて出てきても「刑務所も助けてくれなかった!!何も変わらななかった!」と言うのでしょう。
* *
外側には救済はありません。
誰かが助けてくれることも
誰かが自分を変えてくれることもありません。
自分が住んでいる辛くて苦しい世界から自分を助け出す人も居ません。
こればかりは、どれだけお金を積んでも
どれだけスゴイ人に何かをしてもらっても、です。
その理由は、そこで誰かがその人を変えたりすることは
その人の学びと成長を奪う事になる
だから宇宙がそれを許可しないからです。
ですので、どれだけ「そうなるように頑張った」としても上手く行きません。
とは言っても、
「誰かが自分を変えてくれる」
「誰かが自分を幸せにしてくれる」
「誰かが辛い自分の現実から救い出してくれる」と期待して、誰かに依存するのは意識の進化を進める上で絶対に必要な過程になります。
ある意味、変えてもらうためにガッツリお金を使い
誰かにガッツリ依存してみないと
「ここまでもやっても意味がない。
誰も自分を変えてくれない。誰も私を幸せにしてくれない。この現実から私を救い出してくれる人は居ない」
という事実に絶望し、気づけることはできません。
多実子も何年か後にここに気付けたらいいなと思います。
また、この事実に自ら気づいた人じゃないと、本当の癒しの過程に入ることも難しい現実があります。
何しろ、この事実に気づかないと、頭で理解していても「誰かが助けてくれる」「何か自分を簡単に変える方法がある」に縛られ
自分の感情に真摯に向きあえないからです。
* *
私自身、当然、ずっと外側に救済があると思っていたというか
それしか方法がないと信じていたので
自分をあっという間に変える方法
自分をあっという間に救済してくれる人を探しまくったし
それをしてくれるという人に、どれだけのお金を使ったか分かりません。
徹底的に依存して、徹底的に救いを求めても叶う事はありませんでした。
散々「助ける」「力になる」「私があなたを変える」と言ってた人に何度手のひらを返されたか分かりません。
酷い時には「今までの私が言ってきた事は全て嘘でした」と言われたこともありました(あれにはビックリ!)
でも、ある意味、彼らに裏切られた(ように私は感じた出来事)ことによって「外側に救いは無いんだ」と腑に落ちたので結果オーライですが
あの時期はキツかった・・・。
* *
このドラマを見る度に思うのは、人が完全に癒されない限り犯罪は無くならない、ということ。
犯罪も、虐待も、戦争も、略奪も、支配も何もかも、癒されない私たちが引き起こすもの。
現在、強化されている方が多い「被害者意識」も癒されていない自分から生み出されたもの。
この世を、自分自身を本当に平和にしたいなら、まずは自分の内側を平和にすることですね。
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