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「タッチ登校を後悔した日」— 息子の人生が変わってしまった
あなたは「1型糖尿病」という病気をご存じでしょうか?
日本では年間10万人に1.5〜2.5人が発症する、比較的まれな慢性疾患です。
何かがきっかけとなり、自己免疫がすい臓を攻撃し、血糖値を調整するホルモンであるインスリンを分泌できなく、またはほぼ分泌できなくしてしまう病気です。
現在の医学では完治が難しく、生涯にわたりインスリンの注入が必要不可欠となります。
発症の原因はまだ解明されておらず、誰にでも起こり得る病気です。
病気にかかる前。
不登校が続いたら、この子の未来はどうなるんだろう。
そんな不安に囚われ「普通」に戻さなきゃと焦るあまり、タッチ登校をさせる選択をしました。
ADHDやASDの特性も少なからずあったため、2年生から支援学級への入級手続きも進め、学校へ行かせるという執着が捨てられませんでした。
でも、たった1日の発熱が、息子の人生を大きく変えてしまった。
9年間の義務教育よりもずっと長く、息子は病気と付き合っていかなければならない。
「普通の道から外れてほしくない」 「ちゃんと学校に通えるようになってほしい」 そう思っていたのに「普通」に囚われすぎたばかりに、もっと大変なことを背負わせてしまった。
病気にかかる前は、長いと感じた義務教育期間の9年。
病気にかかってからは、たかが9年。
不登校に悩むあなたに伝えたいこと。
今、目の前の「普通」「みんなと同じように」に囚われていませんか?
私の後悔と、そこから学んだことをお話しします。
衝撃的な出来事
思いもよらない出来事が起こった。 息子が1型糖尿病を発症したのだ。
1型糖尿病の原因は不明だが、発症前に発熱をするケースが多いとされている。
主治医に「体調の変化を感じる前に熱を出したりしませんでしたか?」と聞かれ、あの日のことをすぐに思い出した。
2022年1月、学校でコロナウイルスが流行したため、学校閉鎖になると連絡があった。
この頃、息子と私は、職員室に先生に会いに行くというスタイルのタッチ登校をしていた。
「時間も短いし大丈夫だろう」と思っていたが、数日後、息子が発熱し、翌日に私も味覚と嗅覚がわからなくなった。
たった5〜10分程度の登校だったのに……。 コロナの感染力の強さを痛感した。
その時は1日だけの発熱だけで他の症状はなかったため、気にとめていなかった。
数ヶ月後に、まさか息子の人生を揺るがすことになるとは思いもしなかった。
「よくわからないウイルスが流行している時に、乗り気ではない息子を登校させたのは間違っていたのではないか......」 この考えが頭を離れず、強烈な罪悪感に襲われた。
罪悪感との闘い
息子は緊急入院となり、食事のたびにインスリン注射を打たなければならなくなった。
入院当初は、食事前の注射を怖がって30分以上泣き叫んでいた。
注射は打ちたくない。でもお腹は空いた。 息子の中でも大きな葛藤があった。
その姿を見て「私が無理をさせたせいで……」と何度も自分を責めた。
あまり知らない人に攻撃的な言葉をぶつけることは、ほとんどないが、主治医に当たり散らし「なんでこんなことしなくちゃいけないの!」と泣き叫んでいた姿は、一生忘れることはないだろう。
たった9年間の義務教育のために、息子のこれからの人生をめちゃくちゃにしてしまったのではないか。
そう考えると、胸が苦しくなった。
1型糖尿病は、今の医学では治らない。
適切にコントロールできれば問題ないが、管理をおこたる、もしくは判断を間違えれば命に関わることもある。
実際に、高血糖が長時間続き危険な症状がでた時に、できることはやったがなかなか数値を下げることができず、何が適切なのかがわからなくなり、救急車で搬送したこともある。
また別の日には、少し疲れがたまり体調が悪かったのか、吐き出して脱水症状を起こし、高血糖症状で緊急入院になったこともある。
「無理に学校に行かせたばっかりに、息子にとんでもないものを背負わせてしまった」。
ただ様子を見に来てくれた医師の前で、母親が大泣きし主治医もすっ飛んで来るという珍事件まで起こしたくらい罪悪感と絶望感で苦しかった(苦笑)
冷静になれば恥ずかしい気持ちと同時に、理由もうまく伝えられず大号泣し、本当に申し訳ないことをしたと思う。
医師にこの記事が届くことはないと思うが、この場を借りて謝っておく。
「あの時は、びっくりさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」。
退院後の意外な変化
退院すると息子はなぜか毎朝登校するようになった。
不思議に思い、理由を聞くとこう言った。
「入院より学校に行ってる方がマシだから」
この言葉を聞いたとき、思わず絶句した。
あれほど嫌がっていたのに。
それほどまでに、病気になってからの生活は大変だったのだ。
入院中は、出された食べ物しか食べられない。
偏食気味だったが、嫌いなものでも食べなければならない。
間食ができないため、出されたご飯をしっかり食べないとお腹がすいてたまらない。
退院後も大きな変化がいくつもあった。
まず、食事前には糖質量(カーボ)のカウント。
カーボカウントをしないと、ご飯が食べられなくなった。
この計算をしないと、食事前のインスリン注射の薬の量が決められないからだ。
どんなにお腹が空いていても、今までのようにすぐにご飯を食べられない。
退院直後は、このカーボカウントに大苦戦し、温かいご飯も計算をしている間に、どんどん冷めていった。
また、お腹がいっぱいになっても糖質を摂らないと低血糖になるため、糖質として計算された量は食べなければならなくなった。
これまで普通にしていた生活が一変し、息子の毎日は病気中心に回るようになった。
「学校に行く=当たり前」ではない
この経験を通して「学校に行く=当たり前」という固定観念を崩し、状況や視点によって意味は変わると考えられるようになった。
不登校はいつか終わる。たった9年間の話だ。
義務教育が終われば、終わってからの悩みや迷いはあるだろうが、まだ経験していないことに対して不安がっていても仕方がない。
高校は通信でもいいし、興味のある学科を選んでもいい。
中学卒業までの選択肢が狭く、大変でも、その後の道はいくらでもある。
そう思えたことで、少し気持ちが明るくなった。
これからどう向き合うのか
今、考えているのは「不登校」も「病気」も、息子にとってどうすれば最善かということ。
「学校に行かせるかどうか」ではなく「どうすればこの子が生きやすくなるか」を軸に考えたい。
今の息子にとって「学校に行く」という選択肢は「入院よりマシ」だから選んだだけ。
これから先、また息子が「学校に行かない」と言うことがあれば、 そのときこそ、息子の気持ちを最優先に家でできる「生きるためのスキル」を身につけるチャンスにしようと思う。
まとめ
この記事では「普通」にとらわれた結果、息子が一生続く病気を抱えることになった経験をお話ししました。
不登校はいつか終わる。でも、病気は一生続く。
そう気づいたとき私の中で「学校」という存在の価値が大きく変わりました。
私たちの経験は、まれなケースかもしれませんが、このような可能性もある。
必ずしも「みんなと同じ」が最善の道ではありません。
「みんなと同じようにしなきゃ」と焦る気持ちは、親なら誰でもあると思います。
でも、大切なのはその子にとっての最適な道を見つけること。
子どもが本当に生きやすい環境を作ることが、一番大事なのかもしれません。
もし今、子どもの「普通」ばかりを気にしていたら、一度立ち止まって考えてみてください。
本当に大切なのは「普通」よりも子どもが安心して笑えることではないでしょうか?
この経験が、あなたの心を少しでも軽くするきっかけになれば幸いです。
気づきがあれば、ぜひシェアしてみてくださいね。