届かないラブレターを書き続けて1年。これからも。
noteを始めて1年。
私は文章が好きだ。
残酷なものも、平坦なものも、切ないものも、美しいものも、響いた文は全て宝物だ。
私のこれまでの中とこれからの中でも、一番、一番好きだった人は、紡ぐ言葉全てを宝物にしたいくらいの人だった。
こんなことを言って貰えるなんて、現代文の教師冥利に尽きますね、先生。
当時の彼氏に手酷い扱いを受けて悲しんでる私に、優しい言葉をかけてくれる人はいくらかいた。
どれも耳触りは良かったけど、するすると私の心の襞には引っかからずに落ちていってしまった。
けれど、貴方の言葉は全て心臓に杭のように刺さったから。貴方の眼差しは血液を逆流させたから。
私は彼を好きになって以降、言葉の重みというものを改めて実感した。
そして、言葉では伝えきれないことの切実さというものも知った。
彼の文章はあまりにもどれも素敵で、形があるなら余すところなく食べてしまいたかった。そして、自分の血肉にしていつまでも一緒に生きていたかった。
先生で既婚者なのでまぁ実りようがなかった恋だ。ドラマや少女漫画のように進展しない。
恋愛は必ず変化していく。
心が離れていったり、二人の手の距離が近くなったり、関係名が変わったり。
始まることさえできなかった私の片想いは恋と言えるのかさえわからない。変化を伴わないこの関係性に安心を抱く私は実は恋なんて知らないんじゃないか。
そんな恐れからか、自己満足からか、私は彼にラブレターを出すことを目標に日々を生き始めた。
私の最初の彼への1通目のラブレターにはお慕いしていますと書いた。
それだけを伝えたくて必死に受験を乗り越えて卒業式を迎えた。
美しい言葉だ。
尊敬にも恋慕にも取れる儚い言葉だ。
2通目には真っ直ぐに好きでしたと打ち込んだ。1年間会えなくてもくすぶり続けたこの想いと一緒に何もかも無くしてしまえばいいと思った。
そして失恋して、私はnoteに文章を投稿し始めた。
私は、私の文章が好きだ。
多分下手な方なのは承知だし、読んでいて小っ恥ずかしいこともある。
けれど、文章が好きだということを、心に刺さる文章がやはり存在するということを、そんな文章はいつまでも残り続けるということを。
そんなことを教えてくれた私の好きだった人の痕跡をなぞるように私は書き続ける。
大体が彼に伝えられなかった想い。色あせてしまうまでずっとずっと書き連ねていく。
前より伝わるだろうか、的確に気持ちの輪郭を言葉に落とし込めてるだろうか、と遂行しながら。
彼から言われた言葉をかみ締めて、決して退化しないように。
いい方向に変化していけるように。
この思慕をいたずらな憧れの思い出にしてしまわないために。
好きだった人を、通過点ではなくて、消耗品でもなくて、私の一部としていくために。
あなたの事を好きだったことで構成された私をこれからも残していく。
ハッピーバースデー、失恋ポエマー。
P.S.今年は本物のアクアマリンのピアスを買いました。