いっとう美しい呪い
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。
花は毎年必ず咲きます。
かの有名な川端康成の詩集からの言葉だ。
これを初めて読んだ時はあまりの感心にため息と言うより胸いっぱいに息を吸い込んだ。
なるほど、そんなに美しい人の呪い方があるのか、と。
私はもう振られる直前だけど、もう彼氏の記憶に残れればそれで良かった。そのために沢山の無駄な努力をしていたが、この発言で肩の荷が降りた。
これで確実だ。
そう思った1ヶ月後、彼氏と道端を歩いている時に沢山の雛芥子が群生しているのを見かけた。
「あの花、なんかよく生えてるけど名前知らないんだよね」
彼は私に呪いをかける好機を与えてしまった。
「雛芥子だよ。虞美人草とも言うかな。昔の中国で負けかけてた将軍の妻が邪魔にならないように自害した場所から生えてきたって逸話があるんだよ」
ふぅん、とも、へぇ、ともつかない微妙な相槌を打った彼の横顔を斜め下から見た。
何で、失恋の前の記憶って正面顔じゃないんだろうね。
一生思い出せ。
この後告げられる別れくらい痛いくらい予測できる。
麗らかな春の日差しに揺れる、虞美人草を。
春が毎年回ってくる度に雛芥子は咲く。
割とどこにでも咲く。
その花に名前と逸話があると教えたのは私だ。君にとっては、その花の後ろには虞美人ではなくて私の微笑みがそよぐことになるだろう。
思い出の場所は避けれても、花は避けられない。
私との思い出に呪われて、泣きたくなるような気持ちだったり、舌打ちしたくなるほどの憤りだったりを覚えればいい。
苦しめ。
君と全力で付き合った私のことを勝手に忘れるな。
その時の私は、好きが裏返って憎しみが溢れていた。
記憶に残れるのなら、何でもいいと思った。
私を捨て行く人に牙を剥いた。まだ私はこんなに傷ついても好きなのに、その傷さえ捨てられたら無意味なものになってしまうから。
私だけがこんなに苦しんで、泣いて、ボロボロになるなんて理不尽だ。
そっちも同じくらい傷つけ。血を流せ。
美しい花の姿を借りて、美しく、儚さをもってしぶとく、心の片隅に棲みついてやる。
本当は少し懐かしく、切なく、目を細めてくれるのが一番だ。
そんな情を僅かに残しているからこそ、この呪いは強力で、美しい。
今年もどこかで雛芥子を見て私や虞美人のことを思い出したのかな。
思い出してなくても、多分、それでいい。