本当に欲しいものは全部来世にお預けして
やっぱり可愛い顔とあの人が欲しい。
あと欲しいものは沢山ある。
二番目以降の生まれ、可愛げのある学歴、愛される素質、意地っ張りじゃない素直な性格、お金、自己肯定感、etc……
けどもう疲れてしまった。
22歳にもまだ少し手が届かないくらいだけど、最初の2つが絶対絶対手に入らないことをもう嫌という程思い知ってしまった。
そんな今世に唾を吐くでも罵るでもなく、ふんわりと諦念を抱いている。
嘘、結構可愛い顔による差別に苦しんで罵詈雑言を吐いて泣きわめいて、次の日目パンパンに腫れてるもっとブスになったりしてたし、なんなら今もしてる。
奢ってほしくても全額叩きつける意地っ張りの逆張り女だし、約立たずの微妙な高学歴な上に、低賃金重労働雇い口激狭な職種を希望してしまう。
こんな自分が受け入れられなくて、嫌いで、欲しいものがこんなにあるのに遠すぎる自分も、望んでしまう自分も嫌になってしまう。
この世には喉から手が出るほど欲しくても手に入らないものが多すぎる。
どんなに清く正しく生きようが、手段を選ばず汚く生きようが、届いてもすんでのところまでだ。
可愛い風、愛され女風、シゴデキ風……好きだった人に至ってはかすりもしない。
そんな全てを諦めて、欲しかったことを認めて、少しでも穏やかに生きるおまじない。
それが「来世ではきっと全部手に入るよ」。
可愛い顔も、愛も、自己肯定感も、お金も、やりがいのある仕事も、あの人も。
私は来世をくっきりと信じてるわけじゃない。
あるかないかはわからないけど、きっとこんな記憶は一切ないと思っている。
むしろ記憶があるならもっと人間以外の緩い生物に生まれ変わりたい。お金持ちの猫とかでっかい木とか。
それでも、いっつも私は来世に私を投資する。
別に今世頑張らない訳ではなくて、今世頑張っても結果はついてこないのとの方が多いだろう。全てにおいて死にものぐるいの努力をしていたら、まず好きな人を手に入れるには不貞になるので社会的に死ぬ。全身整形も経済的に死ぬ。全てを手に入れようとしたらホイホイ死んでしまうので、そんな自分を絶望させないための方弁だ。
来世はきっと好きな人の手に触れられるよ。きっとあのひとの胸の温かさがわかるよ。名前で呼んで貰えるよ。
そう信じるだけで軽くなる気持ちがある。
目の前にはどうにもならないことが山積みで、ちょっとやそっとでは買われなかったとしても。
出来る範囲の努力しかできなくて、少しづつダメになっていく自分を許す甘えかもしれない。
それでも必死に就活して、埋没の予約入れて、奢られなくてもニコニコして、どんなに単調な毎日でもフルメイクして、毎日10時間研究してる私に、少しくらいご褒美を上げてもいいと思う。
ただ可愛くなりたい。
好きな人に会いたい。
幸せになりたい。
それさえ容易には叶わない今世、私自身何もかもダメな今世から目をつむらせて欲しい。
明日も頑張ろう。
来世にたくすんだってケラケラ笑って軽やかに。