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花
はじめに
この本をお手に取ってくださり誠にありがとうございます。今回、【花】をテーマに短編の物語を書き上げました。
見るだけで美しく、香りや花言葉、逸話など、先人達も花に色々な意味や想いを込めて楽しんできました。この本でも、そんな様々な視点から【花】を解釈し、筆者なりの物語に落とし込んでみました。
注目いただきたいのは、それぞれの花のイメージからくる人物像。その字面(じづら)や色、花言葉などから、深く読み込んでいただけるかもしれません。また、花は散るものであり、時の象徴とも捉えます。流れゆく月日や変わらぬ時間、“いつも”などという言葉にも意味を込めました。ここでは書き切れませんが、あとは各々、自分なりにお楽しみください。 それでは、どうぞ。
孔雀草(マリーゴールド)
黒い花があるとしたら、こんなものだろう。
全ての羽が黒く染まった孔雀のように、真っ黒のスーツを着て、決まった時間に現れる。
綺麗に整った容姿に、隙のない応対。机にノートパソコンを開き、キーボードを叩く仕草すら計算づくに思える。つい視線が惹き込まれる、金(きん)にも変わる魔性の黒。
「やぁ、今日も私を見ていたね」
いつものコーヒーを置いて逃げ去ろうとする私に、彼は声をかけてくる。営業妨害だ、しかし自意識過剰ではない、私は返事に困る。
「悪いが君の想いには応えられない、
私は友情を取ったものでね。」
「はぁ、別に何とも思ってないですけど」
「冗談だよ、君は私を嫌っている。
それくらい知っているさ。」
ひと言返すのが精一杯だ。彼と話すのは骨が折れる。彼は意外にも嫉妬深い、そして傷付きやすいのだ。どうして私に執着するのか、彼のペースに呑まれないようにしなくては。
「実は、私の仕事も上手くいってね。もうここにも来られないかも知れない。だから最後に、君にお願いがあるんだ。」
やけにしおらしく見える彼の様子に、少し調子を崩してしまう。
「そうなんですか。まぁ、私に出来るなら」
「出来るさ、きっと。これは予言に近い。」
「予言ですか、大きく出ましたね。もったいぶらずに言ってくださいよ。」
「僕の名前を、呼んでくれないか。」
私は、コーヒーカップを落としてしまった。
店内に緊張が走り、割れた破片を片付ける。
その騒ぎの中、彼は風にたなびくように、店を後にする。私は追うことも出来ず、ただ頭の中に彼の言葉が反響し続けていた。
そんなこと、何度も考えた。そして今日まで来てしまったというのに。責めるでもなく、ただ嫉妬を孕んだその友情に、私は背中を押して貰えるのだろうか。
床へ零れたコーヒー、孔雀が羽を広げたようなそれと、目が合う。
私は、彼の名前を呼ばない。
空木(ウツギ)
カラン、と彼の鳴らす音は、いつも渇いていて。私はすぐに彼の来店を知る。
彼はお決まりの席に腰を落ち着けると、本を開き、静かに店へ溶け込んでゆく。
そこへ私は、とてとてと歩み寄る。
そして微笑む。すると彼は少し焦りながら、鞄を漁って何かを取りだす。取りだしたのは、本だ。オススメの本を、たまにこうしてやり取りしている。彼は私の相談相手。そして秘密の先生なのだ。
「・・・・・」
今回の本はどんなだろう、と思いながら楽しみに受け取る。彼は目を合わせてくれない。
とてもシャイなのだ。まるで女性と目を合わせてはいけない呪いへかかったかのように。
「あ、あの!店員さん」
と、思っていたら珍しく、話しかけられる。
私は驚くが、顔に出ないように振る舞う、声をかけられると思っていなかったみたいで、失礼だと思ったからだ。再び、微笑む。
「これが、最後の本…です。」
時が止まった。どういう意味かよく分からなかった。最後の本、とは?予期せぬ言葉。
私は動揺が顔に出てしまう。
「あの、もう、本を、貸せなくなるから。。」
それだけ言って俯いてしまう彼。私は、何が何だか分からない。つい、聞いてしまう。
「すみません私、何かしてしまいましたか」
「い、いえ、ただ、いや、と、とにかく!」
「これを読んでください!」
そう言って、いそいそと立ち上がり、この場を後にしようとする。机の上には、咲き誇り散りゆくものの簡潔な題が一つ。私の名。
これでお別れなのだろうか、いったい彼は何を伝えたかったのだろうか。私はこの本を知っている。実は読んだのだ、昔、所縁(ゆかり)のあるこの本を。たしか中身は、優しい男が女性の相談に乗るうち、恋が芽生えるものの潔く身を引く、などという話だ。ありふれた話だったが、男の戸惑いようが初々しく好ましいのだ。例えば目も合わせられず、その女性(ひと)の名前を呼ぶことすら叶わぬような。出会いと別れ、それもまるで、取り残された本のよう。
思えば、
彼は私の名を呼ばない。
待雪草(スノードロップ)
私は、彼がメニューを開くところを見たことがない。ウチの店ではいつも決まったものを頼む。だから必要ないのだろうか。
けれど、期間限定メニューや本日のお薦めと言った日替わりの商品や、割引対象のメニューもある。それらを全く気にしないのだ。
まるで、勝手に食べたい物が給仕され、目の前へ並ぶのが当たり前だと言わんばかりに。
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