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京都に行きたいな 3

 自分的に京都らしい建築。
 銀閣が最推しなんですよ。
 この建築って、8代将軍 足利義政が建立したままだそうです。

 いけずな京都のタクシードライバーも「金閣、あれは後世の造りもんや」と平気で話してくれました。確かに精神障害の疑いを持たれた見習い僧による放火で、昭和25年に焼失しています。
 終戦直後で、国宝の喪失という大損失なことで。
 戦後間もない政府が朝鮮戦争で物資不足のなか、当時で2㎏の金箔を貼り付けて再建を行いました。ただ現在の金閣寺は2回の大改修を経ています。バブル時代の恩恵でなんと20㎏、3000枚もの金箔でかなり厚化粧したともいえます。

 ですが先述のドライバーは案内しつつ、本音を漏らすのです。
 せやから本物はコレや、と。
 幼き折には「どうして銀閣には銀箔を貼っていないのだろう」と疑問に持ち、それが応仁の乱を引き起こした将軍ということを知って、なんとまあ実力のない将軍であったことか、などと見下していまして。
 なかなか足を向けませんでした。
 この地にを訪問するのは、3回目の京都深訪ではなかったでしょうか。

慈照寺銀閣

 なんだろう、この風格の厚み。
 瞬間的に魅了されてしまって。
 併設するこの庭園の美しさ。自然の美と工芸の技が調和しているぞ。
 義政は確かに引きこもりの将軍と、往時も嘲りを受けたけれども。実は彼は芸術家肌であって。分不相応な役割を吞まされた気がしました。

侘び寂びが体現されている!

 二条城におきましては。
 こんなお大尽なソフトクリームをほぼ10年前には提供していますが、今の物価高ではどうなっているのでしょうね。
 この金箔をつかうというのは、やはりイメージリーダーは金閣なのでしょうか。まあでも二条城も煌びやかだからなあ。
 こうした権力の顕示欲というのも、京の都らしいですね。

黄金ソフトの圧が凄い

 京都の二面性というか。
 あるいは文化への渇望というのか。
 義政の先鋭的な地脈が未だにあるというのか。
 この地には京都国際マンガミュージアムなるものがあります。
 昭和初期に建設された龍池小学校の校舎を改修したもので、かつては校庭であった広場に人口芝生を敷いて、人間をダメにするクッションに寛ぐこともできます。
 昭和モダンを色濃く残したレトロな雰囲気で、創造力が掻き立てられます。内部構造も学校のままで、そこでマンガを読むという背徳感さえ味わえます。

江口寿史展

 実は、ここで江口寿史展が開催されている時期を狙っての訪問でした。
 だって御大のカラー原稿を拝見することができるのですよ。
 高校時代に「ストップひばりくん!」にどれだけ性癖が曲げられたか。あの芸術としか思えないセンスの扉絵が実見できるとは!

ぎっしりと詰まっていて、うれしい。

 銀閣から下っていくこの道は、通称「哲学の道」と呼ばれています。
 京都帝国大学において、西田幾多郎や田辺元が思考しながら歩いた散歩道だそうで。
 とりあえず私も歩いてはみましたが。
 何の悟りにも導かれることはなく、現在に繋がっております。

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