藁の匂いと群青色
隣の農家さんに稲刈りに連れて行ってもらった。父親と住んでいた時の家の隣家だから小学校に上がる前、もしくは記憶としてはもっと初期の頃だ。うっすらと覚えている幼い頃の他の思い出をいくつか並べてもそれらの前後関係がわからない、それくらい初期の記憶。物心がつくかつかないか。
それが稲刈りそのものだったのか稲刈りがすっかり済んだあとの藁積みだったのかもあやふやで、ただ田んぼは軽トラックで10分くらい走ったところにあった。ぼくはその家の男の子二人と荷台に乗っていた。二人はぼくのひとつ上とふたつ下、歳が近いからその家にはよく遊びに行っていた。だから声をかけてくれたんだろう。荷台に乗ったというのは、まあ田舎でおおらかだったんだな。そして解放感の感じられる空間だった。秋晴れの風を感じて空気と一体になって。
荷台に揺られて着いたその田んぼの景色を覚えている。
広かったと思う。子どもの目線だから本当のところどれくらいの広さだったのかは感覚的な記憶でしかないが、狭いということはなかった。
乗ってきた軽トラの他にコンバインなのかトラクターなのか区別のつかない農業機械もあって、ぼくら子どもはさすがにそれには乗せてもらえずに下で藁の束を運ぶのを手伝ったりしていた。そもそもこんな小さな子どものすることが手伝いにもならないのは大人たちにもわかっていただろうし、遊びにでも連れていくかくらいのものだったのだろう。
青空の下、長いことそうしていたように思う。幼い子どもなりに可能な範囲の手伝いを終えると、大人たちがまだせわしく働いている中、ぼくたち子どもは田んぼや畦道で遊んでいた。足の裏には半乾きの泥と、細かく短くなった藁の感触、駆けるたびにそれらが混ざって発酵したような匂いが鼻の奥をツンと刺激する。
ほどよい疲れと、もう飽きてきたという気持ちが体を心地よく満たす頃合いで、大人たちが「帰るぞ」と声をかけてきた。
その時間には空はすっかり群青色に包まれ、かすかに西の空の地面に近いところが太陽の光の名残の橙色を残していた。周囲に山らしい山、高台らしい高台もない土地柄だからほとんど全周囲見渡せたんじゃないかな。そしてぼく自身も群青色に溶け込んでいる。
その景色を今も覚えている。
今もその時の匂いを覚えている。
ぼくにも心配事が何ひとつ無い時代があって、何も心配する必要の無い時代もあって、この幸せな瞬間の色と匂いの記憶もそのひとつだ。でもそんな瞬間は今はもうとても昔のことで、だからとても貴重で、でももしかしたらそんな時代はもう死ぬまでやってこないのかもしれないと考えると、体に不安が充満して、地の底に押し付けられる心地もするのだ。
休日に隣街のコンビニの駐車場でコーヒーを飲みながら目の前の田園風景を眺めていた。ふと思いついて別の日の夕方に、ノンを車に乗せてそこに行き、畦道に止めて三分の一ほど稲刈りのすすんだ田んぼの中を散歩をしてみたら、昔見た景色にそっくりだった。
藁と半乾きの泥の匂いがした。