私が原因不明のめまいに悩まされ続けた話(その19)
私は30歳の頃から原因不明の目まいに悩まされ続けている。この記事を書いている時点でもう8年が経過しているが、症状は治まるどころか悪化の一途を辿っている。そろそろ過去の記憶も曖昧になってきているので、このタイミングで備忘録も兼ねて、同じ悩みを抱えている方の一助になればと思い、記事にすることにした。
結婚に向けて
一応プロポーズは成功(?)したので、結婚に向けて進む事になった。そうとなれば今度は両家に挨拶に行かなければならない。まあ、そうとぅーす家はよい。難関はやはり新婦側の家だろう。正直豪傑のお母さんは何度も会っており、こちらは問題ないと思っていた。一方お父さんとは結局一度も会わずにこの時を迎える事になった。
両家に挨拶に行くのは年末にした。やはり、しっかりとけじめを付けて年を越したかった。豪傑のお父さんについてだが、古風な人とか頑固な人という情報は聞かされていた。あと直前になって、豪傑が子供の頃に脳梗塞で倒れ、それ以降右半身が動かなくなった事も聞いた。
さて、では挨拶の時のセリフを決めておかなければならない。全てはこれで決まると言っても過言ではない。私はターゲットを豪傑のお父さんに絞り込んで考える事にした。
豪傑のお父さんは、古風で頑固…
だとすると、昔ながらの定番で行くのがいいか。
そ「(土下座をしながら)お父さん!娘さんを僕にください!!」
父「ワシはお前の父親じゃねぇ!バカヤロー!!」
バァン!(顔を殴る音)
ガッシャーン!(棚にぶつかる音)
ダメだ。流石に単刀直入過ぎる。
2、3日考えたけど全く浮かばない。ここはやはりGoogle先生の力を借りるしかない。色々と調べた結果、「お父さん」は禁句らしい。まだ新郎の父になった訳ではないので、「○○さんのお父さん」というのが無難なのだそうだ。
それと、「娘さんを僕にください」もタブー。そもそも娘は物ではない。結婚の許可をいただきに行くので、「娘さんとの結婚をお許しいただけないでしょうか」と言うのがベターだそうだ。
うん、じゃあそれにしよう。だって考えたって浮かんでこないんだもん。成功させる事を最優先し、「豪傑さんのお父さん、娘さんとの結婚をお許しいただけないでしょうか」という丸パクリのセリフに決定した。流石Google先生!私が2、3日考えても全くできなかったことを平然とやってのけるッ。そこにシビれる!あこがれるゥ!
ご挨拶
そして両家への挨拶の日になった。まずは私一人で豪傑の家に行く。服装はもちろんスーツだ。それにあらかじめ買っておいた菓子折りを持参し、約束の時間に家に着いた。豪傑とお母さんは着物を着ていた。この日もバッチリ着こなしていた。
今までの何度か豪傑の家には遊びに行っていたが、入った事のない応接間に通された。和室だったので、正座することになった。私は正座が苦手だ。すぐに足が痺れるか、つってしまう。この日もやはり、正座して全員揃うまでにすっかり痺れてしまっていた。
豪傑とお母さんが部屋に入ってきて、最後にお父さんが入って来た。初めてその姿を見たが、私が想像していたよりも体が悪そうだった。右半身は硬直しきっていて、歩くことだけで精一杯という感じだった。
全員着席し、まずは菓子折りを渡す。
そ「こちら、ほんのお口汚しですが」
ここも、「ほんのつまらないものですが」と言いがちだが、それもダメらしい。言われた方からすれば、「つまらないものなら持ってくんな!」っていう風になるんだとか。
そして、いよいよ本題。とその前に、いきなり本題に入るより、世間話を一つ挟んで、場の雰囲気を和ますと良いという事だったので、最も無難な気候の話をする事にした。
そ「年の瀬も迫り、すっかり寒くなりましたが、お体の方は大丈夫でしょうか」
沈黙が流れる。あれ?誰も乗ってこない。お母さんの方を見ると、苦笑いをしていた。まるで、「そうじゃないでしょ。そんなのいいから早く本題に入りなさい」と言わんばかりの表情だった。言われてみれば、お母さんとは何度も会っているので、改めてかしこまる必要が無かった。これは余計な事をしたと思った。
私は「コホン」と一つ咳ばらいをし、本題に入った。
そ「豪傑さんとは、これまで1年半近くお付き合いしてきました…」
途中の内容は覚えていない。
そ「…という訳で、2人で結婚しようと決めました。豪傑さんのお父さん、豪傑さんと結婚をする許可をいただけないでしょうか」
よし、言えたぞ。さあ、どうなる?
父「…」
う~ん、という表情をしたまま喋らない。
母「どうなの?いいの?」
父「あー…」
母「うん?」
父「あの~…」
母「何よw」
あ、お父さん喋らないんじゃなくて、脳梗塞の後遺症で喋れないのか。その後も、お母さんと豪傑が通訳してくれて、結婚したら会いに来てくれなくなるんじゃいかと心配になったらしい。結婚した後は豪傑が今住んでいる別荘に住む予定にしていた。豪傑の実家から車で10分程度の場所なので、そんな事は無いと、必死に説得していた。お母さんと豪傑が。完全に3対1の状況である。分が悪くなったお父さんは、程なくして結婚を承諾してくれた。
母「はい、じゃあ話は終わり。お茶にしましょう。豪傑手伝って」
豪傑「そうちゃん痺れるからもう足崩していいよ」
そ「もう痺れ切ってますw」
もう足を崩すのも辛かった。完全に足の感覚が無い。お母さんと豪傑がお茶の準備をしに行ったので、部屋にはお父さんと二人きりになった。さて、困った。会話ができる人なら雑談を試みるのだが、喋れないのをついさっき知ったので、戸惑った。
そ「すぐ足が痺れてしまって… お恥ずかしい、ハハッ」
また、某夢の国のマスコットキャラクターみたいな喋り方になってしまった。
父「フッ」
あ、笑ってくれた。もうこれだけでも満足だわ。結局発した言葉はそれだけだった。
その後しばしの間、お茶をしながら歓談していたが、この後はそうとぅーす家にも行かなければならない。程々で切り上げて、私の家に向かうことにした。お父さんはこのような状態なので、お母さんと豪傑の2人が来ることになった。私は準備の為、一足お先に出発した。
今度は新郎家だ。
そ「先程豪傑さんのお宅にご挨拶に行って、無事結婚の許可をいただきました」
父「ああ、それは良かったな」
終了。後はお茶をしながら歓談した。
そして入籍へ
実は入籍日は挨拶をする前から決めていた。2016年1月23日だ。この日は日曜日で、役場に入籍届を出しに行きやすかったのと、123と覚えやすい数字の並びだったからだ。ゼクシィの付録に付いていた婚姻届に記入し、役場の宿直室に届け出た。
結婚式は改めて日程を決めてしようと決めていた。別に入籍と同時にしなければならない訳でもないし、じっくり準備したかった。あと冬だと雪の心配もしないといけないし。
入籍後は豪傑の別荘に住むことにしていた。引っ越しは荷物が少なかったこともあり、入籍日の週末を使い、自分の車で何往復もして自分で行った。時期的に雪の心配があったが、週末「は」降らなかった。
ところが、週が明けて月曜日、いきなり雪が降ってそれなりに積もった。手痛い洗礼を浴びてしまった。大雪ではなかったので、いつもより少し時間が掛かった程度で済んだ。引っ越して以降、雪の予報にかなり敏感になった。
私の職場は、実家から車で5分の場所にあった。それが、引っ越すことで片道30分とかなり遠くなった。最初は周りから心配されたが、まあ何とかなるだろうと言い張ってた。でも、この辺の人からすると、通勤に30分は結構長い。私も、この通勤の負担が少しずつ積み重なって、体調に影響を与えたのかもしれない。
これから2人での生活が始まる。一緒にいる時間は結構長かったし、基本的に隠し事もしない間柄だったので、新婚生活は上手くいった。それでも常に一緒にいる事で初めて分かる事も出てくる。ここからがスタートなのだ。
ー 次回へつづく ー
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