しん(身)と、しん(心)
ヨガには繋ぐという意味があります。
牛や馬を荷車につなぐ「くびき」を表す言葉。
これを、
サンスクリット語では「ユジ」と言い、
そこから
繋ぐや、結ぶ、統合するという意味をもつ「ヨガ」とういう言葉ができたとか。
心は、怒ったり、悲しんだり、悔んだり
放っておくと牛や馬のようにあちこちに飛んでいき、
それが意図せず、
何かを傷つけたり。
そのもの自身が
壊れたり、消えてしまったり。
それは困る。
大変困る。
ということで
自分の体というはっきりわかるものに
繋ぎ留めておく。
体に意識を集中させることによって、心をコントロールする。
これが心と体を繋ぐとなるわけです
ふむふむ
なるほどと思うと同時に
これがずっと以前から
納得できない。
繋ぐとしいうことは、元々は別物のということ?
例えば
よくヨガのクラスで口にする
「全身の力を抜きましょう」
「全身で味わいましょう」
「全身がほぐれます」 等々
ここで出てくる、「全身」という言葉。
全身=全部の身体 ?
身体だけじゃない。
心も力を抜いてリラックスしないといけません。
身体にしてほしいことは、心にもしてほしいのです。
だから繋ぐ必要がある?
そおかあ。
なるほど。
とはならない。
わざわざつながなくても
身体がほぐれると心もほぐれます。
身体の力が抜けると心の緊張もとれるんです。
もちろんその反対も。
だから
私は
ぜんしん
って言葉を使うとき、
全身ではなく
全身心だと思って使っています。
文字に表すときは、全しんと書きます。
少し漢字や言葉にこだわりすぎ?でしょうか?
言葉にこだわると結構面白いことに気づきます。
この「しん」という言葉
他の漢字はないかと考えると
身、心、だけでなく
信や真、親等
その漢字一文字だけで
それこそ身心に染み入る文字が現れます。
一文字だけでもそうですが
こんな合わせ技も
「心と体が同じものだと信じることによって真理が見えてくる」
こんな話を
養成コースでしていたら
Mさんから
こんな漢字を思いつきましたと
新
芯
神
清
進
等他にもたくさん。
それらが今の私(Mさん)必要そうだとか。
心と体は同じものです。
わざわざ繋がなくても
同じだということに気づかず
分けて捉えるからややこしくなります。
まあ、
同じものでも
バラバラに感じているなら
繋いで一緒にしてしまってもいいでしょう。
教室の名前
ボディインハート
心の中にある体
これが
うまく溶け合って
ちゃんと
一つになるのがヨガ。
そうなったときには
もうこんなややこしいこと考えなくなるかもしれません。