推される人と推す人々

本日はかなーり昔から推している方のファンイベント的なものに参加してきた。

推しはじめた当初はかわいらしい若手俳優みたいな立ち位置から今では国民的大女優となっている。

完全に顔がどタイプで推しはじめた訳だがここまで人気が出てしまうとなぜか一歩引いてしまうのも人間の心理だ。

かつては富士山の頂上にいたかのように近く感じられた推しも、今ではエベレストの頂上のように遥か遠く感じられるようになった。
より多くの人が知り、大勢の人の推しの対象になることをもの悲しんでいるのかもしれない。

『推し活』
という言葉が世間に浸透し始めてまもない。たしかに「推し」がいる生活はその人の出ている番組、配信、イベントを見たり参加したりすることで日々明るくなる。

時々、なぜ赤の他人にこれほどまでに時間、お金、情熱を捧げられるのかと考えることがある。

自分と同じ人間のあの子はなぜこんなに大勢の人に必要とされ、崇拝され、生きる糧になれているのかと。

そうして見える景色は私にはわからない。ただ、同じように日常を生きているわけだし、悩みを抱えていることもあるだろう。

推している人々も悩みやモヤモヤを抱えつつ、そうした雲を晴らすために推しからエネルギーをもらうわけだが、そうしたイベントに参加するたび、この推されている人間と自分を含めた推している人々の垣根が一体どこなのかと考えてしまうことがある。

他者を推して「得られるエネルギー」も捨てがたいが、自分自身を成長させる『自分推し活』を推進させていくことを説いていきた今日この頃。


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