病気の描写をどう伝えるか? ~作家売買~
病気になる程、頑張ったって表現は、どう伝えるべきなのだろうか?
頑張る程、病気になってしまったって表現は、どう伝えるべきなのだろうか?
いつも悩んでいる。
病気になる程、頑張らないと成果は得られないという、間違った伝達にならないだろうか?
頑張り過ぎれば病気になってしまうのは『仕方ない』って、不本意な解釈をされないだろうか?
頑張りと、病気はベツモノである。
っても、因果関係は否めない。
それでも、一人の表現者として、
『病気になる程、頑張らないと成果は得られないのは当たり前』なんて馬鹿げた伝達はしたくない。
『頑張り過ぎて病気になってしまうのは仕方ない』なんて、ふざけた伝達もしたくない。
これらは「事実でしょ?誰だって成果を出している人たちは、ある程度、体の不調があっても頑張り続けていて、その先に結果が出せたんだ。」って意見という事実もあるだろう。
事実を曲げたいんじゃない。
伝達を、表現の方法を伝えたい。
成功者と呼ばれる、富と地位と名誉ある職ある人達のインタビューやら経歴記事を読むと、結構な確率で「頑張った。時に体調を崩し病を発症した。でも、頑張った。」という事実が発表される。
読み方によっては「成功する為に、ちょっとぐらい体を壊すようなことしても仕方ない」って解釈だって取れてしまう。
言葉は自由、自分由し。って意味にも取れるのだから、どう解釈するかは読者の自分由しってことになる。
だから、病のお話は苦手。どう伝えればいいだろう?
人は常にデッドラインを歩いていることを忘れている。
創作でも、現実でも、
頑張りすぎて病気になってしまう方々がいる。
時には、亡くなってしまう方々もいる。
自分も頑張りすぎて病気になりかけた。
頑張ることは、応援する。
でも、『頑張りすぎること』には応援できない。
頑張り過ぎるのは、ただの自己満足。
私の解釈は
『仕事っていう、生きる為に必要な作業』をするのには、
お金っていう道具の使い方を知ることは大事だし、
同じぐらい自分の体調管理も大事。
そして、それらをこなしながら『自分の仕事』ってのをしていくのが働くってことな気がします。
そして、結果として、それが生き方となる。
病気の表現に、今も悩みながら一言一句を製作している小心者の弱音でした。
今日も、誰かに笑われていますように。