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【Web3書籍紹介】『メタバース進化論』(技術評論社)

本の情報

書名:『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』
著者名:バーチャル美少女ねむ
出版社:技術評論社
ISBN:978-4297127558

https://www.amazon.co.jp/dp/4297127555/

こういう人にオススメ!

  • Web3ビジネス吹聴に辟易していて、実際に“棲んでいる人”の視点からメタバースを眺めたい人

  • メタバースで生まれている文化風俗や、人と環境におけるハイエンドの現在地をオールカラーで知りたい人

  • 現実世界での制約を超えて、クリエイターとしてメタバースに関わりたい人

総評

 思想が強い! テレビの芸人が「クセが強い!」と笑いを誘うのと同じニュアンスでこの本を喩えて言うならこうなる。その思想というのは、他のWeb3書籍で語られるような「GAFA的中央集権からの脱却」ではなく、メタバース・ネイティヴとも言うべき、そこに生まれそこに育った者だけが語ることができる、洒落臭しゃらくさいスタートアップ投資界隈の連中への強烈なカウンターだ。

 本書で初めてメタバース内の文化に触れる人にとっては、統計数字・独自のアンケートや明解な図、的確なスクリーンショットの数々(オールカラー!)によって、「ほうほう、こういうものなのね」と手に取るようにわかる。

 しかし、すでに俯瞰できている人や、VRに限らずビジュアル・チャット程度のコミュニケーションで済ませている人にとっては「自分がわざわざ行かないでおいているアッチ側」まで見え隠れしている本書には冷や汗が出る。

 新宿のTOHOシネマズに映画を観には行くが歌舞伎町の繁華街には寄らなかったり、池袋のグランドシネマサンシャインには行くが乙女ロードには寄らなかったり、熱海の温泉には入るが秘宝館には寄らなかったりという人はそれなりにいるが、その人たちに対し、歌舞伎町のアウトローや乙女ロードのオタクや秘宝館の桃太郎(?)が我が居場所こそ至高とばかりにあけすけに語ってしまうような猥雑さを本書は持つ。

 いや、じぶん、映画観にきただけなんスけど、メタバース見にきただけなんスけど……と少々後ずさりしたくなる。

 視点も、俯瞰的だったかと思えばグッと著者の私情に近い部分まで引き寄せられ、固唾を飲んだところで地球規模に人類の可能性を謳い上げる姿を見せつけられてしまう。どれがエビデンスあるファクトなのか、あるいは世界が著者の姿をして代弁しているところなのか、それとも単なる希望的観測なのか、注意を払わなければ、揺さぶられっぱなしになることだろう。

 とはいえ、そういう視点でないと描けないものというものは、私たちの住む地球上にはたくさんある。(地球を持ち出して揺さぶってみています)

 例えば、他の書籍では「メタバースの問題」というとプラットフォーム論や、データ形式の相互互換について述べる程度に留めているものが多い。それはそういった浅い論をしがちな者があまりメタバースを常用していないか、ビジネスサイドの人間であることの現れではある。

 けれど本書の場合、問題点といえば実直な「困りごと」であり、体験に裏付けされたものとなる。メタバースは世界なのだから住民の実態と住民のニーズが存在する。その当然のことを浮き彫りにする。

 本書が徹底しているのは、「世界は当然にそこにある」ことに常に真摯だということだ。

 先日『メタバースとWeb3』の紹介で、本を読むにあたり「著者はどういうことを読者への誠実さと考えているのだろうか」を気にしていると書いたが、この著者やプロデューサーの旨としたことはおそらく、世界が実在していることをその地面に足をつけて語る、であろう。

 この地球上のどこかに独特な文化を持った島国があり、外界の人はそこへ思いを馳せる。そこの文化を記述した書籍を読むことができるのなら、可能な限りの想像力を羽ばたかせることで自然に風景や文化や生活を夢想することができるだろう。

 この本が成し遂げているのはそういうことだ。「独特な文化を持った島国」がサムライ、スシ、ニンジャの国か、メタバースかの違いなだけだ。

 さて、読み進めると第1章~第3章までと、インターミッションを挟んだ第4章~第6章まで、それぞれ随分と毛色が違うことに気づくだろう。オールカラーだけあって、紙面デザインにも工夫があり、前半はゴールド(黄土色)、後半はブルーを基調に分けられている。

 後の「主な章の紹介」で触れているが、前半は落ち着いて読めるのだが、後半はページをめくりながら気もそぞろになってしまう。そういった点も含めて、大変なボリュームをもって今の“メタバース”を精緻に写し取っている。これをぼくが書ききれるかというとかなり難しい。

 実在する世界の住民視点の精緻なガイドブックとして。「メタバースで生きていく覚悟」を読者に迫ってくる民俗資料書。

主な章の紹介

 相当に思想が強い書籍なので、他の書籍の時はわりかしフラットに紹介したが、今回はアクの強い箇所を割り引いて読めるように、疑問を持てる余地がどこにあるかを書いておく。

はじめに~第3章

  • メタバースの現況を俯瞰しつつ、「ソーシャルVR」にページを割くことで、本書が基本的にMMOゲームやビデオチャットや、出来の悪い2Dタイプのバーチャルオフィスのようなものを一切相手にしていないことを示す。一般の人がいわゆる「メタバース」と聞いて思い浮かべる「ゴーグルを被って没入し、3Dグラフィックで描かれる世界で色とりどりのアバターたちが出迎える」世界を強烈に定義する。

  • 「メタバースの7要件」を提示する。上記の定義に合わないものを排除するために定められたきらいがあるので、「精神を肉体に束縛されない世界に投影するのであれば、ハンドルネームで過ごすDiscordもメタバースでは」「人間すべてに創造力が備わっている(発揮できる)ことを前提にするのはクリエイター側の傲慢では」「経済性といってもコミュニケーションとしての取引を含まないと説明できないことが多いのでは」「プラットフォームごとに姿を変える自由も尊重されるべきでは」と考える人には押しつけに感じてしまう。

  • VR技術の話に、メタバースにおける人格権の話がねじ込まれるので、読者が物理的・金銭的に実現できる内容と、思い入れを持つことで実現できる(=思い入れが強くなければ実現できなさそうに見える)内容の区別がつかず、メタバースで一定の満足を味わうことがとてもハードルの高いものに感じてしまう。覚悟がなければ来るなと言われている感覚が常に付きまとう。

第4章~第5章

  • 「アイデンティティ」と「コミュニケーション」という重要な視点での話をしているが、肉体的な制約(性別、性差、社会によって与えられる役割)から解放される利点がある世界(第7章は丸々それに割いている)なのに、アバターグラフィックが男であるか女であるかを常に意識せざるを得ない論調が、正直のところ気持ち悪い。
    幾度となく繰り返された「バ美肉」という言葉を巡る論争で、男性性からの解放の裏側で女性的魅力に価値を置く(美少女アバターを操作するに行きつく)ことがすなわち男性的視点から逃れられない業であると指摘されていると理解しているが、それを大衆にとって「なりたい自分」であると言い切ってよいのか懸念がある。
    特にP.170の『美少女は「枯山水」』項は、本書のほぼド真ん中にあるだけに厳しさがある。

  • かと思えば直後に平野啓一郎(芥川賞作家)による「分人主義」を引いてあったり、プラトンのイデアが出てくるので寒暖差で風邪をひく。
    もうちょっと簡単に、「家族と過ごしているときの自分」「会社や学校に行っているときの自分」など別の顔(ペルソナ・仮面)が意識せずに存在するのと同様「メタバースにいるときの自分」があると説明すれば済むいのではないか。

第6章~おわりに

  • トーンがやや落ち着いてくる。「メタバースで生まれる職業」などは、クリエイター志望の若者や、現実世界の制約に悩んでいる人には良い気づきを与えるものと思われる。

  • 経済に関しても事例や現象が豊富に明示され、メタバースを巡って何が起こっているかを次々と見せてくれるため、メタバースに親しんでいない人にとっては衝撃の連続であろう。ただし、構成として「具体的な事例と、そこから予見される壮大な未来像」が繰り返されるため、針小棒大に感じる箇所が多い。

(以上)


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