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NFT騒動と売れないNFTの温度差

<前回のあらすじ>
 巷で話題になっているブロックチェーンデータの「NFT」。世界ではアートのデータをブロックチェーンに刻む「#NFTアート」のムーブメントが発生。日本円にして75億円だ3億円だ1,300万円だと札束(ではなく仮想通貨)が飛び交う状況に。
 ぼくは一攫千金のチャンスとばかりに「NFTアート小説」に取り組み、10日間かけて10つの掌編を書くことを宣言。小説をQRコードに変換してデータ化し「日本初のNFTアート小説」が誕生したのだが……

いきなり「おもしろくないんじゃないか病」発生

 上記ブログをアップしたのは10つの掌編を半分以上書き上げた後だったので、さあ最終日となる4/9まで書ききればOKだ! という状況だったのですが、実のところ公開初日からしてぼくはスランプに陥っていました。

 スランプというか、「ぼくの書いているものはおもしろくないんじゃないか病」発生。いつものやつです。これは欲みたいなもので、疎まれることはあっても好まれることは無いと常に感じている故の、贅沢な飢えみたいなもんです。

 NFTってそもそもわけわからないじゃないですか。OpenSeaって英語のサイトだから難しいじゃないですか。リンクが1階層深くなるたびに離脱が増えるじゃないですか。QRコードを読み取るの、サイトアクセス以外のやり方が知られてないじゃないですか。何重苦だよ。

 しかし光というのは差し込むべくして差し込むものです。作家の大先輩である渡辺浩弐氏からTwitterのDMで連絡がありました。YouTube動画でトークしませんか、と。

 氏は週1回のペースで「トーク・エッセイ」という動画を配信しています。NFTアートが話題になるちょっと前に、拙著の『ブロックチェーン・ゲーム 平成最後のIT事件簿』を動画内で取り上げてくださっていて、ぼくは風呂でなにげなく配信を見ていて、ビックリしてお礼をリプライで送ったということがあったんです。

 そういうことが直近にあったとはいえ、お声がけいただけたのは僥倖。小躍りしながら了解の旨を返信しました。

「30年後のゲーム・キッズ」

 ちょっとここで四半世紀前、いや、30年前のことを書かせてください。現代みたいに動画をオンデマンドで観るなんて環境は無い時代です。DVDどころかCD-ROMもありません。映像といえばテレビ番組か、ビデオソフトをレンタルしたり購入したりして、映像を観ていたんですね。そしてキッズなのでレンタルやに通えるような小遣いも無く、ビデオはもっぱらテレビの録画用途でした。

 ですが、ぼくの父がゲーム開発に関わっていたこともあり、資料としてビデオの『GTV』を購読していました。ビデオなので購読といっても読むわけではないんですが、近所のコンビニで新刊書籍を取り寄せるかのように予約できたのです。コンビニもチェーン店がどこにでもあるというものではなく、珍しかった時代。店内が広くて白くて明るくて何でも売ってる、そういう印象でした。

 『GTV』というのは、ゲームの紹介、攻略、バラエティ企画が詰め込まれた、今で言うゲーム実況動画の祖といえる内容です。しかもCGキャラクターがナビゲーションするというVTuberの祖でもあります。マックス・ヘッドルームでさえCGじゃなかった(俳優にメイクを施したキャラクターだった)ことを考えると、なんというか時代を30年先取りしてた映像メディアですわ。これの仕掛け人が渡辺浩弐氏です。

 そして『GTV』から時を経て、高校時代。ファミ通に連載されていた氏の短編SF「1999年のゲーム・キッズ」を毎号楽しみに読んでいました。単行本がファミ通文庫から出版されたのが、ぼくが高校を卒業して春から大学生になるという1994年。携帯電話でさえ自動車電話からの派生であって、大人のビジネスマン用設備だった時代。まだノストラダムスの大予言がどうなるかわからなかった時代。

 いずれ「ブレードランナー」みたいなサイバーと陰鬱が混ざり合った明日が来る。ネオンと湿気とちょっとアダルトな、隙間にホラーとサスペンスが潜んでいる日常。テクノロジーの延長線上に、相も変わらぬ人間の情動が見え隠れする世界を覗かせてくれた小説。それが「1999年のゲーム・キッズ」です。「令和元年の〜」「2020年の〜」と、変わりゆく世界とともに新作も発表されています。でもこれ、2050年になっても古くならずに、きっと読めちゃうんだよな……。

 余談。ボイスドラマが収録されている「ファミ通プレゼンツ・テラオサウルス」という渡辺氏がプロデュースした前衛的なCDがあるんですけれど、先日、断捨離の作業中に押し入れから出てきたので、赤野工作氏に贈りました。同業きってのコレクターに持っていていただいたほうが作品も幸せかと思いまして……。

 さて、渡辺氏とリアルで会うのは10年ぶりになります。ぼくがディレクターを務めていたゲームの『天外魔境 JIPANG7』を、動画番組で取り上げてもらったのが2010年でしたので、その時以来となります。

 はたして4月9日にYouTubeの生配信は行われ、その時の様子がこちらの動画。ぼくは動画に写ってる自分の姿をあまり観たくないので(YouTube動画を公開していたとき、毎度の字幕入れ編集が苦痛で仕方がなかった)じっくり観返したりはしないんですが、あらかじめ流れについてはおおまかに決めてくださっていたこともあり、喋りたかったことは全部喋れた感じがします。

壮大な肩透かしが発生!? 

 ぼくのNFT小説のオークションも開始。設定がおかしかったのか、よくわからないクソ高い価格から始まってしまったんですが、そういうハプニングも後年になって振り返ればただのクロニクルになるので、ほっときました。

 ニュースサイトでは、著名IT企業が何社も「NFTマーケット」分野に進出するという記事が踊り、じわじわと「NFT」が広まっているのを感じます。機運ってやつです。乗った、乗ったぞおれはこのビッグウェーブに。このままバブルに一直線か!? 5,000兆円欲しいゾ!

……と気持ちだけが高まった週末がすぎ、4月11日に、こんなことが起こりました。

 NFTアートに湧いていた界隈は、こんなことを思い描いていたはずです。「村上隆氏の作品がドッカンドッカン売れて、シャンパンタワーが如く資本家にダブついてるマネーが上からドバドバと注がれ、場末の自称アーティストも、NFTとさえ唱えておけば幾許かのおこぼれにあずかることができる」と。

 そんなことを思っていたの……おれだけ? いや、少なからずグラスのタワーでいえば先行者利益をとれそうな上の方に陣取っていたつもりだったんですけど。

 まあ誰もハシゴをかけてくれと頼んだわけではないので、はずされたような気がしなくもなくもないというのも妄想で、まったく自由なことではあるのですが。アートだなぁ、ロックだなぁ。

 時間差で、NHKやテレビ東京がNFTをテレビ番組内で取り扱います。ですが日進月歩どころか1週間も話題が保たないネット時代。「最新の話題」たる燃料に乏しい感じも否めません。もっと何億円で何が売れたというのが毎日出るくらいじゃないと……。

 こういう状況なのも理解はできていて、イーサリアムの価格が引き続き高騰しまくっているんですね。1ETHで37万円くらいになってる。となると、わざわざNFTを買ってその芸術的価値や広告力を期待するのも煩わしく、手数料やGas代もバカになりませんので、ETHで投機をやってたほうが遙かに手軽なんですわ。人間だもの。ゲンキンなのはしょうがない。

NFTブームはこの先どうなるのか

 ところで、前回ぼくはこう書きました。

 ですが、バブルかどうかで言うと、まったくバブルではないと考えられます。著名人の作品に何億の価格がつこうが、それは「すでに著名人だったから」に過ぎません。

 確実な判定基準は1つです。ぼくの作品がバカみたいに高値で売れたとき、それはすでにバブルと言えます。日本で最初のNFTアート小説であり、そもそもブロックチェーンを題材に長編を一本書く作家の書き下ろしです。その文脈に気づけずに投機家の食指がピクリとも動かなかったとしたら、これはただの児戯です。

 予言はするもんじゃないですね。話題に乗るにはそれなりに先んじて有名になっておく必要がありました。前回書いた「VALU」と同じです。このままだとNFTは「一定のファンをターゲットとした集金装置」でブームを終えてしまいます。

 ブームが起こったことで、各種メディアにおいて過熱ぶりへの懸念や、法整備の必要性について問われることになりました。

 こういうブームは何度も浮沈を繰り返して、手堅く、大きく広くなっていくものなので、引き続きNFTの可能性やブロックチェーンデータが社会にどういう影響や効果を及ぼすのかについては、見つめていきたいと思います!

リンク

 ぼくの小説はダッチオークション形式(値段が下がっていくタイプのオークション)で値がつかなかったので、価格を5ETHに固定して置いてありますので、欲しい方は是非!

https://opensea.io/bundles/ethereum/sawa-sion-japanese-nft-novels-rhC

↑リンクのタイトルは「第十話」になっていますが、10話セットです。


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