【Web3書籍紹介】『メタバースとは何か』(光文社新書)
本の情報
こういう人にオススメ!
身近な例からメタバースに迫りたい、難しいビジネスや技術の話でケムに巻いてほしくないという人
Web3でGAFAMの支配から脱却できると息巻いていながら、実際テックジャイアントにしかできないことのほうが多いと薄々気づいている人
いにしえからのネットオタク
総評
メタバースやWeb3書籍は、どちらかというとビジョナリーなものが多く、まだ見ぬ未来への期待なのか、はたまた雲をつかむような妄言なのか、じれったく感じるものがいくつかあるが、この本は身近な例が豊富で「ないものを語る」のではなく「既にあるものから要素を抽出してメタバースを導き出している」といえる。
このため、メタバースという曖昧模糊としたものを読者の脳裏に再構築することには成功している。その反面、メタバースの「今」を伝えきれているかというと、それについては他の書籍に譲るところがある。
これは本書がメタバースの本質を、ネットコミュニティ的性格に置いていることによる。メタバースの進化はハードウェアやソフトウェアの技術によって成されるものではなく、それを使おうとする我々に委ねられているという切り口だ。
だから、SNSによりソーシャルバブルやエコーチェンバーの効果で閉鎖的な世界での安住を見出してしまいがちなユーザー像、人間像が何度も語られる。メタバースのことを書いていつつ、それによって人間の本性を垣間見るというのが本書の特徴だろう。このため、ここ二十年くらいのネット論、コミュニティ論を読んできた人には、物足りなさか現代的でコンパクトなまとめかの、どちらかに映ると思われる。
文体はWeb3万歳系の胡散臭さが無い代わりに、少々懐かしいネット文体の風合いがみられる。ややシニカルさを感じさせる文で、一つ一つの言い回しに「あのことか」とニヤリとできるネットリテラシー(≒ジャーゴンの知識)を持っていれば2割増しくらいの楽しみが得られる。半面、修飾語(特に副詞)や比喩表現が多いため軽妙洒脱からは遠く、実証や論理、気持ちの良い言い切りを求める読者には、読みづらいと感じてしまうところだろう。
少し驚いたのは「エピローグ」で、本書の内容が復習されるのだが、本論のエッセンスが各項目2ページずつくらいにまとまっており、豊富な例示が不要ならここだけ読んでも十分に本書の魅力は吸収できてしまうところである。もともとこのエピローグくらいのプロットがあって、それを膨らませたのが本編なのではないかと勘繰ってしまった。
メタバースがそれほど新しいものではないということをきちんと伝えている、ネットコミュニティに根差したまとめの書。
各章の紹介
各章でどのような内容が書かれているかを書く。事例が豊富かつ詳細なので、より具体的に知りたくなったら是非読むべき。
プロローグ
映画『レディ・プレイヤー1』や『ソードアートオンライン』といった映像コンテンツで描かれたVRの例から、ゴーグルを被らないで実現されるVRで、まずハードウェアの枠組みを取り払い、次に、アイドル産業がグループアイドルへ、音楽産業がモノ消費(CD)からコト消費(握手会)へと変容したことを情報技術の観点で解説する。
VRでの体験は10年のうちにはコト消費での不満をも解消し、だれにもわかりやすい形としてARが好まれるとし、「仮想」とはそもそも何であったかを問い、メタバース、デジタルツイン、ミラーワールド、仮想現実、疑似現実など言葉が乱立する中、読者を「もう一つの世界」へと導く。
SNSにフォーカスを当て、フィルターバブルに見られる閉鎖空間を例にまだ発展途上の世界と位置づけ、現実世界以外での生活をすべてSNS内でおこなえる未来とビジネスチャンスを示唆し、SNSからメタバースへの導線とする。
第1章 フォートナイトの衝撃
世界的に流行しているオンラインゲーム『フォートナイト(エピック社)』とアップル社の確執とその根底にあるビジネスモデルを解説し、フォートナイトはなぜ人気なのか、加えてビルダー要素からタイトルを『マインクラフト』『ロブロックス』へと広げ、世界の中で生活すること、世界そのものを作ることに魅力と新しさがあると説き、フォートナイトは様々な機能によって、すでに「もう一つの世界:メタバース」足りうるとする。
仮想現実内での楽しみについて、ゲームコンテンツをクリアせずにその中にとどまって楽しむ例、VRジェットコースターやレーシングシミュレーターのチューニングをしているうちに現実のジェットコースターやレースとは違った楽しみを見出す例を挙げ、現実世界ではできないことを仮想世界で可能とする。
SNSがメタバースと融合すること、あるいはメタバースがSNS以上の閉鎖的な居心地のいい場所となることを予測し、その中でもコミュニケーション(雑談)がキラーアプリケーションであると看破、仮想世界で集合するニーズはあるとする。
第2章 仮想現実の歴史
仮想現実はどのように捉えられてきているのか、サブカルチャーは炭鉱のカナリアであるという観点で『電脳コイル』『アクアゾーン』『ゲートボックス』『ソードアート・オンライン』『セカンドライフ』『ファイナルファンタジーVIIリメイク』『ファイナルファンタジーXV』『あつまれ!どうぶつの森』『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』『グランド・セフト・オート V』など多くの例を挙げ、その中でのフリクション回避(都合のよい、人に迷惑をかけない)への批判、リアルで固定化された格差の解消、リプリゼンテーション見地でのルッキズム批判、仮想現実内での経済と労働、端末性能の進化とAI、空間が広いことのストレス、フリクションのゼロ化など広範囲の「メタバース関連事項」を網羅する。
近隣のムーブメントとして「Vチューバー」「NFT」「eスポーツ」も網羅し、スパチャ(スーパーチャット、投げ銭)の熱狂、演者を抱える事務所の台頭、シェアリングエコノミーの隆盛、熟達者と入門者のイコールフッティングなどに触れる。
前述の例をもって「もう一つの世界:メタバース」で求められる良さがありつつ、またその世界でも格差は存在することを浮き彫りにし、新たな平等のあり方の模索を説く。
第3章 なぜ今メタバースなのか?
ゲームとメタバースの親和性の高さから、ゲームコンテンツの進化を追いつつ、ハードウェア(描画性能、モニタ解像度、反応速度、HDR 、インターフェース・HMD)の解説を交えながら、これらと巨大なデータを扱い、柔軟に開発投資をするにはテックジャイアントでなければ難しいとする。
リアルと自由/不自由、多様性への圧力という話題から、コミュニケーションとコスト、承認欲求とSNSといった人間の欲求や根源的な性向について触れ、リスクを回避するために例えば恋愛でさえ仮想現実化すればよいと説く。
また、メタバースはそもそも必要なのか? という疑問を投げかけ、ネットでの世論形成や攻撃性、炎上リスク、ポリティカルコレクトネス、セキュリティ施策、民意(正義)の形成、エコーチェンバー現象などの現代ネット事情を並べ、SNSやその先のメタバースはそういった地獄の回避を提供するが、飼いならす(飼いならされる)技術ではない方向へ考え、利用していくことが肝要とする。
第4章 GAFAMのメタバースへの取り組み
前章でテックジャイアントでなければ難しいとしたメタバースの展開について、ではGAFAMではどうしているのかということを、丹念に解説する。「Meta(旧Facebook、オキュラス)」「グーグル」「アップル」「マイクロソフト」「アマゾン」のメタバース/SNS関連事業の実績と展望のほか、それに対して日本企業に何ができるのか、存在感を示せる分野は何かを問う。
エピローグ
本書で説明されてきた内容の復習。
(以上)
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