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世紀の大発見か?〜文献を覆す史料の発見〜

3/15、栃木県小山市の天翁院というお寺へ伺った。当寺院は、去年の春に板碑の調査を行った。その際、当寺院の住職からこのようなことを聞いた。「巨大五輪塔があるはずなんだか、今はない」。五輪塔というのは宇宙を構成している五つの要素、「地」、「水」、「火」、「風」、「空」を表す供養塔や墓石を指し、インド発祥で日本には、平安時代に伝わったものである 。その無くなった五輪塔だが、江戸時代までは確実にあったようだ。江戸時代の街道絵図にしっかりと巨大な五輪塔が描かれている。しかし、廃仏毀釈か二次的利用か、巨大五輪塔は、姿を消した。実は小山市の教育委員会は、この巨大五輪塔を見つけるため何度か天翁院に於いて発掘調査を行っている。しかし、見つけることは出来なかった。なぜ、皆が必死にこの巨大五輪塔を探しているかというと、天翁院は祗園城の一角にあり、中世小山氏の菩提寺なのだ。 天翁院の北側から多数の小型五輪塔や宝篋印塔の他に700近い板碑が発掘調査で顔を出した。発掘調査でこんなに板碑が出てくることは少なく、一時期有名になったこともある。また、天翁院境内には、小山氏の墓所として墓石や小型の五輪塔が置いてある。実はこれ、異例なことである。昔において供養塔(墓石)というのは権力の象徴でもある。中世(特に鎌倉時代〜南北朝時代)、相当な権力を持っている小山氏が巨大な五輪塔を建てていないのは異例あった。しかし、建てていないというのは絶対にない。前述の通り、江戸時代の街道絵図に記載されているのだ。しかし、実物は見ることは出来ない。このような状況下、ある報告書では「小山氏は小型五輪塔しか造立してない」と記載されていた。私自身、発掘調査で発見されいないため、諦めかけていた。しかし、その話が一変したのが3/15である 。実は天翁院、江戸時代に火難にあった。そのため、仮本堂が境内に建てられている。その前に池がある。私がその池を通り過ぎようとしたとたんなにか、本能的に目がそちらに向いた。大きな凝灰岩製の正方形の石が目に入った。縦・横70cm、高さ40~50cm。それを見た瞬間、巨大五輪塔の地輪と確信した。真ん中に砂利が溜まっていた。凝灰岩を傷つけぬよう、取り出した。完全には、取り出すことは、無理であった。また、もうひとつ素晴らしいことが分かった。その五輪塔の地輪部に骨壺(蔵骨器)を入れるスペースまであったのだ。この時点で五輪塔である。造立年は、鎌倉時代中期であろう。すぐ、知り合いの教育委員会さんその写真を見せた。やはり、五輪塔の地輪部で間違いないらしい。小山氏の巨大五輪塔との関係は不明だが、天翁院境内に置いてある以上間違えないだろう。調査は続くが、まだ見つかっていない部分が見つかることを願う。

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