開幕4連敗スタートからのJHLはプレーオフに一歩及ばず ”2015/2016 監督1年目”
2016年3月6日に日本リーグ2015/2016のレギュラーシーズンを終了。
監督1年目の日本リーグは12戦4勝7敗1分。勝点9。
プレーオフには一歩及ばず、苦しく、悔しいシーズンだったことを今でもよく覚えている。そんな監督1年目の日本リーグを高井さんの動画と共に振り返っておこうと思う。
開幕4連敗スタート
日本リーグは1月に開幕し、4連敗からの最悪なスタートになった。
まあ最悪の状態(開幕4連敗スタート)も想定して準備をしていたし、選手には勝っても、負けても一つ先の事に意識を向けて常に最善の準備をすること、目の前の事を笑顔で楽しんでやっていこうと何度も伝えてきた。
「4連敗スタートを切ったとしてもプレーオフが遠のいたとは感じていない。」
「レギュラーシーズン12試合が終わった時の勝点が重要だ。」
「勝敗に関わらず変化、成長することは必ずできる。」
とは言うものの。
今思うと、こう言う他に無かったんだろうなと思う。
ちなみに開幕3連敗時点でのインタビュー動画。(これが高井さんからの初めてのインタビューかな?)
5戦目のHC名古屋戦で初勝利
苦しみながらも5戦目のHC名古屋との東海ダービーに勝利し、何とか初白星。
1月 1勝4敗
MVI 18(11-9 7-11)20 オムロン @水俣 観客533人
MVI 17(11-11 6-9)20 広島メイプルレッズ @鈴鹿 観客910人
MVI 17(8-15 9-15)30 北國銀行 @小松 観客853人
MVI 16(9-12 7-8)20 オムロン @広島 観客263人
MVI 28(12-12 16-8)20 HC名古屋 @名古屋 観客527人
梶原晃登場
そして、このシーズンのこの時期に梶原晃BM(現GM)がチームに正式に合流した。(それにしても痩せている)
勝負の2月開始、崖っぷちのSONY戦
2月、特に上旬の8日間で4試合のタフな日程。名張でのソニー戦に惨敗。その翌日の第7戦のブルズ戦に勝利。波に乗りかけた矢先、呉でのメイプル戦で自滅。鈴鹿に戻って無敗の北國銀行戦に善戦するものの勝ちきれず。この時点で2勝7敗。それでもまだプレーオフの可能性の信じてチームは動いていた。
負けた時点でプレーオフの可能性が消える。そんな崖っぷちの状況を選手達は楽しんでいるようにも見えた。鹿児島でのSONY戦、DFで粘りに粘って逆転勝利。
これで3勝7敗。ラスト2試合にプレーオフ進出の可能性を残してホーム(鈴鹿)へ戻ってきた。ブルズ、HC名古屋に勝てば5勝7敗となり、他チームの結果次第ではプレーオフ圏内の4位以内の可能性が見えてきた。
2月末 ブルズ戦でジ・エンド
運命のブルズ戦との一戦。前半3点リードで折り返すも、後半ブルズの猛追を受けて14-14と痛恨のドロー。この時点でプレーオフの可能性は完全消滅。ジェットコースターのような2月を終えた。
日本代表の原&池原はブルズ戦を最後にチームを離れて日本代表活動に専念。
2月 2勝3敗1分
MVI 13(5-10 8-12)22 SONY @名張 観客430人
MVI 22(10-8 12-10)18 ブルズ @高山 観客710人
MVI 13(7-11 6-9)20 広島メイプルレッズ @呉 観客843人
MVI 15(8-12 7-9)21 北國銀行 @鈴鹿 観客830人
MVI 14(5-7 9-5)12 SONY @鹿児島 観客535人
MVI 14(9-6 5-8)14 ブルズ @鈴鹿 観客850人
何とかプレーオフの可能性を残して、レギュラーシーズンを終え、最終節の広島メイプルレッズvsブルズの結果を待つ。そんな状況までは持っていきたかったが、最終戦の前にその可能性はなくなった。
3月 プレーオフ消滅後のホームゲーム
泣いても笑っても2015/2016シーズン最終戦。選手達は苦しみながらもHC名古屋との一戦をモノにしてくれた。それにしてもこの日のホームゲームの試合会場の応援は素晴らしかった。魂の応援に鳥肌がたった。
3月 1勝
MVI 17(10-9 7-7)16 HC名古屋 @鈴鹿 観客880人
もう何年も前の話だが、この試合に向かうまでの準備の1週間は本当に難しかった。今まで指揮をとってきた試合の中で最も難しい試合だったかもしれない。ブルズ戦でプレーオフの可能性が完全に消滅し、チーム全体が抜け殻に近い状態。実際に稲生高校での練習を途中で切り上げた日もあった。
このホームでの最終戦を落としたらこの1年の取り組み全てが帳消しになる。全てを失う。勝っても、負けても順位が変わるわけでもない試合だったが、それくらいこのHC名古屋戦には危機感があった。
この試合に歯を食いしばって準備して、泥臭いながらもHC名古屋に勝利してシーズンを終えたことが現在に繋がっていると今でも感じている。
シーズン終了後、キャプテン漆畑の引退
現在のMVIに繋がるベースを一緒に作ってきたのが、当時のキャプテンの漆畑だ。
このシーズンに掛けて闘っていることは痛いほど分かっていたので、プレーオフの可能性が消滅した時の彼女は落胆ぶりは凄まじいものだった。
三重県鈴鹿市で仕事をする意味。
トップリーグでハンドボールをする意味。
クラブチームでハンドボールをする意味。
こんな事を大切にしながらの監督1年目は最後の最後で悲願のプレーオフに辿り着けなかった。悔しさの残るシーズンだった。