胆嚢をとった話②手術編
胆嚢と別れるまで 〜手術当日〜
名前を呼ばれた気がして、目を開けると、 ”生きていた” 。
手術の前日に入院し、不安な気持ちをかき消すべく、本を携えていった。
サスペンス・ホラー系に『マッチング』と『ザリガニの鳴くところ』の文庫本、そしてKindleにハリーポッター全巻を入れていった。
猟奇的な死を体験しつつ、夢と希望に心を震わせる。サスペンスとファンタジーを交互に読み進めるという異常行動は、思わぬカタルシス効果を発揮し、たっぷりと睡眠を取ったのち、穏やかな心持ちで手術日の朝を迎えた。
———余談であるが、大腸内視鏡を行う際は、ハリーポッターシリーズ第6巻『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を伴って挑むことを強くお勧めする。分霊箱を入手するために毒水を飲むアルバス・ダンブルドアと共に下剤を楽しめる最高のパートナーとも言える至極の一冊(当社比)———
手術室までは、病室まで迎えに来た看護師と一緒に自分の足で歩く。
その道程で、緊張のあまり取り止めのない話を繰り返すも、残念ながら完成度が低く、相手の反応も無味乾燥に等しく、甚だ申し訳なさが込み上げる。
手術室の入り口に到着すると、先客(ここでは患者の意)がおり、その後ろに並ぶという奇妙な体験は、さしずめ『恐怖系アトラクションの列に並んだ途端、逃げ場を失い絶望するゲスト』と、『ゲストに怖いだの不安だの話しかけられ、「自分で望んできたんだろ」とも言えず、穏便に対応せざるを得ない哀れなキャスト』が整列している、といったところか。
順番を待つ間、何を話したかなど全く覚えてはいないが、引率の看護師を困らせ、気を使わせていたことは確かである。
時が刻々と過ぎ、心の準備ままならぬまま、とうとう自分の番になってしまった。
魂の抜けた傀儡のような状態でID確認が進めらる。足取りに感覚はない。頭には、いつの間にか給食帽のようなものまで被らされている。
第一ゲート、第二ゲートを通過し、いよいよ手術室のゲートが開かれた。
眩い光に包まれた、だだっ広い空間の真ん中に手術台があった。
ただ黙々と手術の準備を進める医療スタッフ方の泰然自若とした働きぶりが視界に入る。
その姿に圧倒され、自分の緊張ぶりが殊更馬鹿らしく思える。
「ここは彼らにとってごく当たり前の日常で、日本らしいホスピタリティーでクォリティの高いサービスを提供している。彼らに倣い、身を任せ、思い切り享受しようではないか」と、ひとつ腹を括り、背筋を伸ばして手術台に登った。
心電図の規則正しい音。消毒液の匂い。明るい世界。
心許ない紙製のローブに身を包み、硬いテーブルの上で仰向けのまま文字通り身を委ねる。
名前と生年月日を確認したのち、左手の甲に、貼っていた麻酔テープ(通称エムラパッチ)を剥がし、点滴の準備が進められた。
手の甲の点滴はとても痛いと聞いていたが、数時間前に貼ったエムラのおかげで全く痛くない。
今のところ全く痛くないということは、「手術中、これ以上何も痛くないんだ」との喜びと安堵感を得た。
そして、「今から麻酔が入ります」と、声がかかったと同時に、心をよぎった事がふたつ。
ひとつは、
「麻酔から目が覚めないこともあるんだな」という漫然とした思い。
そして、もうひとつは、
「昨日、せっかく下剤を飲んだのに納得いくほど便が出なかった」という非常にくだらなく、釈然としない思いであった。
うとうととした記憶すらもないまま、「サワムラさん、終わりましたよ」と声をかけられ、私は眠りから覚醒した。
ちゃんと目覚めた。
生きている。
———えも言われぬ喜びと、 ”身体の一部が取り除かれた” という得難い喪失感と共に。
かくして私は、胆嚢と別れた。
【続く】
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