判決。
今日も裁判所へ
今現在 通っている学校で
先生からの助言で
「裁判所に行き 傍聴してきなさい」
とのこと
裁判所には
50を過ぎてお世話になったことありませんでした
というか
お世話になってはいけない所という
イメージの刷り込みはあったんだなと思う
なるべく 近寄ることなく今まで来ましたが
あえて
自ら近寄るという
今日を過ごしております
裁判傍聴 2回目
今回は民事裁判の判決を傍聴しました
(高裁の)
つまり
ジャッジされる瞬間を見てきたワケですが
ジャッジ=決められる
ことですが
社会生活の中で ジャッジされることは多いと思います
わかりやすく言うと
「決めつけられる」ということです
こういう経験ないだろうか
「あなたは、〇〇な人ですよね」
なんて 決めつけられて不愉快な気持ちになったことないでしょうか
「あなたは、〇〇な人ですよね」
とは個人の見解であって
それが全てではないのですが
個人の見解が広まって
あの人は 〇〇な人という
ラベルを身勝手に貼られることもあるわけです
これは公平ではないと思う
個人的意識
色眼鏡とも言うわけで
影響力が大きい方ほど
色眼鏡でみた〇〇な人は広まりやすい
これは一搬的な話ですが
裁判所は違う
裁判所のジャッジは
「公平」にという側面があるワケでして
まさに
「天秤に計る」という客観的
または法的にみてのジャッジであるわけです
法とは
掟であり 定めでもある
面白いなと思うのは
法という漢字に 「さんずい」が付いているのは
不思議だなと思ったんですが
調べると
「水平」という意味があるらしいですね
だから 「さんずい」が添わされているのだ
なんてことを思いながら
高裁の法廷に座る
偏ることなく
公平に 水平にみたジャッジ
その法という基準はありますが
社会においての色眼鏡ではなく
どちらの言い分も 社会においてのあり方においても(全体的な)
それらを総合的に判断したジャッジには
散々 色眼鏡で見られてきた
わたしには これが
本来のジャッジなのかと体感してきた
みんな良い面と悪い面があって、守りたいのがそれぞれ違うというか。
だから法律があると思うんだよね
朝ドラ 虎に翼の名言です
ヒロインの夫が放ったセリフ
それぞれに違うあり方を
公平に見て裁いていく
そこに 多くの時間があったであろう
(審議に)
社会生活において
あの人が ああだこうだ
そんな簡単に人をジャッジするもんじゃないなと
改めて思った
個人的なジャッジは
軽々しく人に広めるもんじゃないなと
法廷は 重く長く 多くの方が公平に時間をかけて
ジャッジする
だから そこに重きがあるのであろう
裁判所に通うことでわかる
巷の噂の軽々しさ
自分の経験上の色眼鏡で人を見ていませんか?
そんな問いかけがある法廷
また1つ 学んだ