無条件の愛を感じられる人か?
先ほど母から電話があった。私が母の日のプレゼントとして送った牛肉を、今日受け取ったとのことだった。これは完全に私のミスなのだが、母の日の前日になって気づき、慌ててAmazonで注文したため今日になってしまったようだ。まあ、1年に1度感謝を伝えるのが目的なので、大目に見て欲しい。
感謝を伝える、と便宜的に書いたが、私は母に対して、感謝を感じているのか定かではない。高校時代私は、母と一緒に出かけるのが苦痛でしょうがなかった。母はいわゆる、クレーマー気質だった。正確にはクレーマーとは違うのかもしれない。ただ、例えば飲食店や家電量販店などで、理不尽に待たされたりすると、その時感じたイライラをそのまま店員に伝える人だった。私はそうやって、人が怒りをあらわにする様子が本当に苦手で、しかもそれが自分の母親だということが、とにかく恥ずかしくて、よく泣いた。
私が泣くと母はひどく取り乱し、その原因を店員のせいにして憤りを激しくさせた。本当にひどい悪循環だった。今思えば母の態度は特段珍しいものでもないのだが、高校生男子が公共の場で号泣しているのは、嘲笑の的だった。
今ではある程度、母も私も落ち着いた。母は私に嫌われるのを恐れて、少なくとも私の前ではもう、店員の無礼にも笑って耐えるようになった。私は怒っている人に対して心の整理をつけることを今でも苦手としているが、人前で泣きだすようなことはもうしない。ただ、こうして思い返しているだけでも鬱屈した気持ちになってくるので、記事を書き始めた時に想定していたのとはかなり短い文章で終わろうと思う。
総じて言えば、母に感謝しなければいけないとは思っている。恩返しの必要性も感じているし、私にとって大事な人であることは間違いない。母は私のことを、無条件に愛してくれた。ただ、私は盲目的に母を善人と思い、好意を表すことがまだできていない。
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