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必死でもがくよりも、力を抜いたほうが、案外沈まなかったりするもの

なぜか、人生って、がんばればがんばるほど、うまくいかないことがある。もがくほど深みにはまるということがある。
星回りなのか、生まれつき不器用なのか、日ごろの行いのせいなのか……。
無理したせいで、かえって状況が悪化。ジタバタしたせいで下手を打つ。自分のがんばりが、周囲にはありがた迷惑、ということもある。
それなのに、呪いのように浮かぶこの言葉。
つらいときこそがんばりどき。努力は裏切らない。あきらめるにはまだ早いーー
なにこれ? だれが言っているの?

「学問のすすめ」がかけた呪い

私たち日本人の最大宗教は、「努力教」かもしれない。
がんばりなさい、もっと努力しなさい。
5やってだめなら10やりなさい。10やってだめなら、20やりなさい。あきらめなければ、必ずドアは開く。絶対に乗り越えられる……
それって、ほんと?

はじまりは、福沢諭吉の『学問のすすめ』のせいじゃないかとにらんでいる。明治維新間もないころの希望に満ちた時代、それまでの封建社会から解放されて、「学問しろ、努力(自助)せよ、さすればおのが人生拓かれん」と唱えたこの書物に人々は熱狂した。当時の大ベストセラー。その感激がすごすぎて、まるで呪いがかかったように、150年経っても日本人は「努力教」の信者のまま。

人よりたくさん努力した人は成功する。
人よりたくさん努力した人は幸せになる。

努力教の聖書にはそう書いてある。
努力しても成功できないこともある。努力しても幸せになれないこともある……という残念な真実には触れられていない。
努力は人を感動させるけれど、一方でちょっといやな感じがするのは、「成果こそ正義」「さあ、がんばって成果を出しましょう」と書いてあること。
誰のための成果? 何のための正義?
成功している人は努力した人だから、正しい人です、称えましょう。
この宗教を後押ししている強い檀家さんが、この資本主義、競争社会だからかも。

クラゲになろう、ゆらゆら、ふわふわと。

地球上の生き物たちは、われわれ人間のように、昨日より今日、今日より明日、増収増益!というふうに追われて生きているようには見えない。野生は大変かもしれないけど、どこか大きな力にあらがわずに、波にさからわず、自然に身をゆだねて、瞬間の命を生きているのじゃないかな。
時には、力を抜いて、クラゲになろう。
ジタバタしない。がんばらない。無理をしない。焦らない。
ゆらゆら、ふわふわ。悠々と。
楽しいことだけを考える。好きなことをする。自分を甘やかす。
どんなことでも、なんとかなる。なるようになる。
この瞬間を、気分よく、生きるべし。

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