39歳男。肺移植手術を受ける。⑤

一般病棟に移り2週間程経った頃、看護師さんとの会話から自然と退院の時期の話が出た。

自分の中ではまだ遠い先のイメージだったが、色んな数値も安定してきてる事もあり、細かい薬の量の調整さえ出来れば退院となるらしい。
これは子供達が夏休みの間に退院が出来るかもしれないと思うと急に欲が出てきて、とてつもなく早く帰りたくなった。

徐々に退院に向けての話が具体的になっていく。
肺移植後の大きな懸念点は移植した肺の拒絶反応と感染症だ。
拒絶反応を防ぐためにステロイド系の薬を飲むのだが、それが身体の免疫力を下げる為、普段よりも色んな感染症に感染しやすくなる。もちろんちょっとした風邪でも高ダメージになる可能性がある為、感染対策はより気をつけなければならない。
敵は至る所にいる。
埃や土などに含まれる菌や湿気から出るカビ、様々なものから感染に繋がるリスクがある。家族には僕が帰るまでに家の全面的な大掃除と、エアコンの清掃などをやってもらう事が課された。

一般病棟に移ってから、リハビリも自分でリハビリ室まで歩いて向かい、軽い運動を40分程するというものになったが、少しでも早く退院出来る様に、退院しても日常生活にスムーズに戻れる様、体力を付ける為に極力毎日病棟内を歩くというのを続けた。

個室だった部屋から4人入る大部屋に移った。大部屋では窓際で、窓の外には行き交う人々が見える。サラリーマン、学生、主婦、大人、子供、老人。様々な人達が行き交うのが見える。生活を感じる。そうだ、僕もあの面倒くさくも愛しい生活に戻るのだ。

8月半ば、退院が決まった。
ICUから一般病棟に移るのに1ヶ月ちょっと掛かったが、一般病棟に移ってから1ヶ月で退院となった。
あんな大手術を経て、あの地獄のICUの日々を抜け、まさかこんな早く退院出来るとは思ってなかった。
退院したらあれがしたい等は特に思い浮かばなかったが、ただ、子供達と一緒に風呂に入ったり、家族で美味しいものを囲んで笑い合ったり、川の字で寝たり、そういった日常が戻ってくるのかと思うと胸が高まった。
帰ろう。

病院では色んな事があった。
辛くしんどい事が多かったが、様々な感度が高まり、些細な事で感じる喜びもまた大きかった。

長時間のハードな手術をし、ずっと見守り続けてくれた先生、
ずっとお世話をしてくれた看護師さん、30分の面会時間の為に毎日片道2時間掛けて京都まで来てくれた妻と母、
帰りを待っててくれた子供達、
心配してくれた全ての人達、
全ての人達への感謝。
自分に肺を下さった命の恩人に対する多大な感謝。
ここで感じた苦しさや絶望や喜び。
自分はこの肺を下さった人が生きれなかった今を生きているという事。
生きる事への欲求はこの先も忘れないでいようと思う。

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