私の痛みは私が決める
ーー自分の好きなところってなんだろう。
こんばんは、爽香 なこ です。
突然ではありますが、小学生の頃、私は自分のことが好きではありませんでした。
顔、性格、学力、運動能力……挙げたらキリがありません。
きっかけはだいたい「誰かに指摘されたから」。今まで目に見えていなかったことでも、他人に指摘された途端にその部分を認識して意識しまうようなことはありませんか。私にはそんな感覚だったように思います。
1.あなたにとっては小さいことでも
①妬み嫉みは心と記憶に深く突き刺さって
小学3年生まで、私は比較的フレンドリーな性格だったと思います。休み時間にはクラスのみんなでドッジボールをして、放課後には公園に集まって走り回ったり、ゲームをしたり。毎日楽しく過ごしていました。
見た目について直接的に何か言われたのは、小学2年生の時が初めてだったような気がします。普段あまり話さない子に「鼻がデカい」、「細すぎ」(※当時はかなりの痩せ型でした)といきなり言われ、驚きましたね。「私ってこんな風に思われてたんだ」って。
あとから知りましたが、これを言ってきた子は当時好きな人がいたらしく、その人と私が週2くらいで放課後にポケモンバトルしていたのが気に食わなかったようです(笑)
大人になってから考えると、
「確かにそれ(見た目)はそうかもしれないけど、相手は行き場のない気持ちをぶつけてきてるだけなんだよ〜!」
と子どもの頃の自分に言ってあげたくなります。
でも、あなたが「ただちょっと気に食わなかっただけ」という理由でぶつけたその黒い感情は、私にとっては毒になってしまったのです。言葉という刃の先には、感情という毒が塗ってあったのです。
私はこのことがきっかけで、それまでなんとも思っていなかった自分の顔面に対して、鏡を見る度に、
「かわいくない……自分の顔なんて嫌い……」
と思うようになってしまいました。
②同調圧力
仲の良かった友達がいました。その子とは幼稚園で出会い、もう1人のことあわせて仲良しな3人組でした。小学校低学年の時に親の転勤の関係で私が別の土地へと転校してもやり取りが続き、また親の転勤の関係で私が元の小学校に戻ってくるとたまたまその子と同じクラスになりました。話すのも遊ぶのも楽しくて、一緒にいるだけで時間の進みが早く感じました。
しかし、困ったことがありました。それは、その子が自分の思い通りにならないと機嫌を損ねてしまうことです。
私がいない1年半ほどの間(ちなみにその期間が先ほどの①の時期です)に、その子は大の男嫌いになっていました。
当時の私は週刊少年ジャンプが好きで、給食の時間中に同じ班の男子とそれらの話をしていました。他にも、休み時間に男女混合でドッジボールをしましたね(※2回目)。
そうしていると男嫌いの友人から、
「なこちゃんも男嫌いだよね?」
と聞かれることが増えていき、私もいつの間にかその問いにうなずくようになっていました。
そして、もう面倒なのでクラスの男子に自分から話しかけるのをやめました。話しかけられても素っ気ない態度をわざと取るようになり、気付けば男子にだけ塩対応を取る最低な人間になってしまいました。小学3年生の時のことです。
自分のことを会話に含めて話せば、「自慢?」と言われました。漢字テストの点数も、50m走のタイムも。「ちがうよ!」と否定するのも面倒になってしまい、自分にとってプラスのことを話すのをやめました。
これは友達が悪いのではなく、同調圧力に屈した私が悪いです。自分の考えを持たずに、友達の話に「そうだね」、「うちもそう思う」って返していたから。自分がどうしたいのかを考えて、伝えれば良かったのに。
「友達に嫌われないようにしよう」って思いすぎて、「自分は友達に嫌な思いをさせてしまうひどい子なんだ」とどんどんネガティブになって。しまいには、普段の思考もマイナス気味になっていきました。
私は、そんな自分が嫌でした。
③レンズの奥
小学5年生の時、総合の時間のレクリエーションの一環としてか何かで、クラスみんなでゲームをしました。先生がスクリーンに予め加工した児童たちの写真(顔の一部)を投影し、「この写真は誰か当てよう!」といったものでした。
スクリーンに、パッと表示される写真。クラスメイトたちは「○○!」と名前を叫ぶ。先生も「当たり」と言って、次の写真に切り替える。
どれも行事で撮った写真のようで、わずかに写る背景が人によって違ったのを覚えています。
そして、時は来ました。
パッと表示された写真は、鋭すぎる目。それはまるで、レンズの奥を睨みつけているかのようで。
パソコンルームに響く、みんなの「なこ!」の声。「目つきわる〜」と近くの席の人に笑われました。
そんなの、私が1番よく知ってる。カメラのフラッシュが苦手で、写真を撮る時にどうしても目をつぶってしまうの。半目にならないように目をギッと開こうとすると変に力が入ってしまい、結果的には鏡で見るよりも目が開いていない。知ってる。私が、目つきが悪いのなんて……。
他人に言われると、「やっぱりそうなんだ」と強い確信に変わってしまって。それからは、行事でカメラマンさんが来ていてもあまり積極的に撮られに行こうとはしませんでした。
そうして、内面も外面も自分のことが嫌になってしまいました。
あなたにとってはただの一言でも、そして覚えていないような小さなことでも。それを私がどう受け取るかは別の話です。
2.私の痛みは私が決める
①見た目
数年経って、気付いたことがあります。
「自分の嫌いな部分はなおせるかもしれない」
ということです。
鋭い目は、フラッシュ無しのカメラで解消されました。他にも、目の周りのマッサージをして、高校生の頃にはもう気にならなくなりました。
鼻については、「鼻筋が通ってるね」、「鼻が高いね」と何人かの友人から言ってもらえて、嫌ではなくなりました。ただ、にんにくみたいな小さくキュッとした鼻(例えがひどい)の方がかわいらしいのかな〜とは思います。
あと例には挙げていませんが、他にも気になるところはありますが頑張っています(雑)
さすがにどれも、「ここがチャームポイント♡」とまでは振り切れませんが、気にならないくらいにはなってきました。
②中身
結局は、「自分の考えをしっかり持つ」というのが1番良いのかなと思っています。
私は「みんなと仲良くしたい」という気持ちが強く、中学の部活動では同学年の人たちみんなと話すようにしました。ある時、顧問の先生に言われた一言があります。
「爽香は飄々としてるよな。女子だけの部だと固定のグループができるけど、爽香はどのグループの人とも普通に話せてる」
この先生の言葉は、私にとっては褒め言葉でした。先生はそんなつもりはないと思いますし、「飄々としてる」って良い言葉ではありません。でも、1人の友人に囚われずに「みんなと仲良くする」ということを実行できていたのなら、私は嬉しかったのです。
ちなみに、大学でも同じようなことをしていたら悲しいことが起きたのですが、これはまた今度……。
基本的にはポジティブでいようと思っていても、ネガティブになってしまう時もあります。そういう時は、「ネガティブな思考に陥ってしまうのは悪いことではなく、物事に向き合って深く考えるきっかけだ」と思うようにしています。
考えることをやめない、これが私にとって自分の生活をより良くするための最善の方法なんだなぁと思います。
3.好きなところというより
私が自分の好きなところってなんだろうな、と考えました。
「これが強み!」というものはあるけれど(※就職活動時に自分について掘り下げなくてはいけなかったため)、別に「好き!」というわけではありません。
そもそも、自分自身のことを好きではありませんしね。
でも、こうして自分のことを「好きでもないけど嫌いでもない」くらいにできたのは自分の行動力のおかげなので、そういうところは「まあ、いいかなぁ」くらいには思います。
爽香 なこ
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