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夫婦23年♡二人の日常⑥〜夫の愛情〜

夫は、自分から「愛しているよ」と言わないほうだが、さりげない優しさを示してくれる。

夜寝る時に、夫は先に寝室に入り、Youtubeを見ている。
私は遅れて20分後くらいに入るのだけれど、その時、寒がりの私のために、いつもベッドの私の寝る部分を自分の体温で温めて待っていてくれる。そして、『温めておいたよ』と言って自分の寝る部分に戻る。

二人で出かけて家に着いた時、いつも車を玄関のすぐそばの助手席から降りやすい場所で止めてくれたり、寝る前には、歯みがきのブラシに歯磨き粉をつけて持ってきてくれたりもする。

最近は、朝食べるバナナが一本しかなくて、私は夫が食べるだろうと思ってそのまま置いておいて、シャワーを浴びに行った。シャワーから出てリビングに行くと、バナナが半分切って置いてある。夫が私の分として残しておいてくれたものだった。私にはない優しさだなあと感動してバナナを食べたことがあった。
私には半分残すというのが頭に上らなくて、差しだすか差し出さないかの選択肢しかない。私がお腹が空いていたら、私が食べちゃうことも多い(笑)差し出すときは夫の方がお腹が空いているかなと思う時だ。私の愛情表現は両極を行ったり来たりしていたのだなと、半分この中間の温かさを味わいながら思った。二人が心地の良いこと。それはすごいことだなと思う。

こんな風に、何気ない夫の行動に愛情を感じたり、受け入れることができるようになったのは、つい数年前のことだ。

それまでは、そんな風に思わず通り過ぎているばかりだったと思う。

二人の間にはぎゅうぎゅう詰めになった、〜すべき、〜してほしいという愛に関する思い(こみ)や、満たされない思いがあった。

それらをほぐしたり手放したりしていくにつれ、ふたりの間に穏やかな空間が広がっていった。その空間には、お互いの自由さや気楽さ、好きなことをそのままに楽しみ、存在を大切にする、それらが入りこむ余地を作ってくれていた。そのまま、ありのままでふたりがいる事が楽な場所がそこには広がっていた。

人はリラックスすると、自然と愛情を感じたり、それを表したりしやすくなる。これは神経的にそうで、腹側の迷走神経が優位に働くと、愛情ホルモンであるオキシトシンも出やすくなるのだ。だから、ありのままの自分が受け入れられているという感覚は、私たちをより愛情深くするのだ。
また今まで素通りしていた相手の行為の奥にある愛情にも気づき始めてくるから、自然と愛情を感じやすくなるし、愛情を表しやすくなる、そうしたエネルギーの連鎖が出てくるのだ。

*~*

そしてもうひとつ大切なことは、自分たちが本当に大切にしていることを伝え合って、受け入れあったからなんだと思っている。

愛情表現で言えば、私は手をつなぐことが好きだ。

私にとって手をつなぐこと。それは父とのあったかい記憶の反復でもある。

幼稚園の時に時々手をつないで一緒に歩いて連れて行ってもらったこと。
少し早歩きな父に一生懸命ついていきながら、父の大きな手に包まれて幼稚園に行く時の嬉しさ。
そしてもっと大きくなった時、大晦日の寒い冬。それは本当に寒い冬だった。家族で街に出かけた日。私は手袋を持ってくるのを忘れて、手が寒さでかじかんでいた。すると父は、私の手をすっと掴んで、握って自分のコートの中に入れてくれた。私は手がぬくもっただけでなく、父の行為にも心を温められたのだ。その時の記憶を思い出すと、いつも胸のあたりがきゅっとなる。ちょっと大袈裟かもしれないけれど、それは父という枠を超えて、その人が持つ心根の優しさに触れた気がするからだ。

私たちは、人が持つ本質的なものを感じ取ったりするとき、きっと感動したり、恋に落ちたり、共感したりするようにできているのかもしれない。

夫にそれを投影しているのかと言われればそうなのかもしれないが、私にとって手をつなぐということは、見守られている(見守っている)、繫がっている温かさを感じることができる愛情の表現のひとつなのだ。そして私はそれをとても大切にしている。

ある時、夫はそれをしなくなってきた。それは友人が多くなったから、人目を気にしてするのが恥ずかしくなったのかもしれない。仲がいいと思われると、からかわれるのが嫌だったのかもしれない。

そして私は『手をつなぐ』ことに関して感じていることを父のストーリーとともに伝えた。この伝えるというのがとても重要な事だと思っていて、自分の大切を伝える、何に愛情を感じやすいかを伝えるという事は、あなたという存在の住処を教えることに近いかもしれない。

ちなみに伝えた後は、それをするしないは、相手に任せたほうがいい。
それは強制ではなく、相手の自由で、してもしなくても、いいのだ。

伝えたのを忘れちゃっているくらいの方がいい。
そうすれば、相手がそれをしてくれたとき、本当に嬉しいし、とてもありがたいなあと思うのだ。

*~*~*

そして私も彼が大切にしているものを知っている。
それは『食べる』ことだ。夫は食べることをとても楽しみにしている。
だから料理も上手で、美味しい。

私はずっと料理が苦手で、料理はできないとずっと思い込んでいた。美味しいものは人が作るものと思っていたくらいだ。(そう思い込みだったのだが)

だからずっと結婚してからも料理もしないままだった。
夫が料理をするか、外食をしていた。それはそれでよかったのだけれど、

ある時、私の愛情はちゃんと伝わっていなかったと反省した時があって、相手に一番届く表現をしてみよう、つまり料理をしてみようという気になったのだ。

夫の母に料理を教わり、料理教室にも通った。頭に三角巾をつけたりもした。それは到底私らしくない恰好や行為で、変なフェミニズムも刺激したが(笑)、とりあえず作ることだけに集中した。すると、料理をすることに楽しみを見出し、体に健康的なもの、マクロビやそういったものに関心があり本当はずっと作れたらいいのにと思っていて、でも『できない』と自分で思い込んでいたことにも気づいた。

今は『クラシル』を頼りに、たいていのものは作れる(笑)
そして夫は私が作る料理を楽しみに仕事から帰ってくる。
どんなに味が薄いかなと思っても、美味しいと言ってくれる。

きっと料理の苦手な私が一生懸命作るというハンデも加わって、心打たれているに違いない(笑)


私は料理を始めなくても、きっと大丈夫だったのかもしれない。

けれど愛を表現するとき、できるならば伝わるほうが良いし、喜んでもらえる方がもっといい。だから相手に伝わりやすい愛情を示すというのは、二人の結びつきを強くする。

もちろん作るのがめんどくさい時や疲れている時は、正直に作れないと言うけどね。

だから、今カップルの人や夫婦の人は、あなたの大切をきちんと伝えることをしよう。そして相手の大切ももっともっと知っていこう。

あなたの喜びどころをもっと教えてあげよう。
相手の喜びどころをもっと聞いてあげよう。

そうして二人の愛情が循環するごとに、愛は深まっていく。

そしてそのうちそんなことを聞かなくても、握った手のひらから相手の思いが伝わってきたり、同じことを思っていたり、

もうただただ相手の存在があることが嬉しくなってくる。

二人の愛が深まることは、本当に大切なことなんだ。

愛がただ愛のままに、
ひねくれずに、捻じ曲げられずに、

そのままの姿のあなたで在らせてくれるから。


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